検索

ラグビー・松島幸太朗が語る桐蔭学園の夏合宿 夜は「藤原先生が怖くて」羽目を外せなかった (2ページ目)

  • 齋藤龍太郎●取材・文 text by Ryutaro Saito

【敗戦後の長距離ランも当たり前】

 理不尽さのない毎日を作っていたのは、花園で桐蔭学園を6回の優勝に導いてきた名将・藤原秀之監督の指導方針によるものだろうか。

「そうだと思います。みんな先生から、しっかりと規律の面などを学んでいましたので。それに、僕が入った時は3年生が多くなかったためか(上下関係も)そこまで厳しくなかったです。寄り添ってくれる先輩が多く、みんなフレンドリーでした。ですから1年の時から嫌な思いをすることはまったくなかったですし、とてもやりやすい環境でした」

 しかし、入学から間もない初めての菅平での夏合宿では、若干の変化も感じたという。

「菅平では(練習よりも)試合が多く、練習は試合の結果によって内容が変わる感じでした。他校のグラウンドで試合したあと、試合内容が悪いと、そこから宿舎までかなりの距離を走って帰っていました。坂道(によるアップダウン)も多く、それも試合後だったのでキツかったですね。

 でも、それは1年と2年の時だけでした。3年時の菅平はどの試合も大差で勝っていたので、1、2年時と比べるとそこまでキツい思いはしませんでした」

 試合後に長い距離を走ることを、疑問に感じた瞬間はなかったのだろうか。

「当時はそれが当たり前だと思っていました。試合後(の疲れた状態)であっても普通のことだと思って、かなりの距離を走っていたのですが、今思えばすごいことをやっていたな......とは思います」

 しかし菅平合宿は松島を含め、多くの部員にとって楽しみな機会だったという。

「菅平合宿は試合がメインで、1週間ちょっとの間に5、6試合はやっていましたので、たくさん試合ができるのが楽しみでしたね。そしてみんなで共同生活できる、という喜びもありました。一緒にご飯を食べたり、当時みんなで『ブザー・ビート』(2009年・フジテレビ系で放送)というドラマを見たり、生活をともにして、仲間との絆が深まっていきました」

2 / 4

  • Googleで優先するソースとして追加

Googleの「優先ソース」について

キーワード

このページのトップに戻る