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【部活やろうぜ!】五郎丸歩が高校時代にラグビー部で得たもの「技術うんぬんよりも『人として』という部分」 (2ページ目)

  • 斉藤健仁●取材・文 text by Saito Kenji

【初めて日本一になった高校時代】

── 夏合宿の思い出は?

「由布院では、朝6時から早朝の走り込みがありました。でも、高校1年生は4時起きだったんです。1年生は早めにグラウンドに行って、チームや監督のスペースを確保しておかなくちゃいけなかったので。そして夜は夜で、大量の洗濯が待っています。そんな思い出もありましたね」

── 朝の走り込みはどのくらいの距離を?

「たしかクロスカントリーで2〜3kmくらいだったと思います。その後にランパス(全員でパスをしながら走ること)を10往復して、それが終わってから、やっと通常の練習でした。朝練習もけっこう長かったですね」

── 菅平では全国の強豪校との練習試合が中心でしたか?

「そうですね。菅平は試合ばっかりでした。1年生の時はBチームで試合をやりつつ、Aチームのリザーブにも入っていたので、ずっとグラウンドにいましたね(笑)。最低でも毎日2試合はやっていました。今から考えても、高校時代しかできないことですよね!」

── 佐賀工時代は濃い思い出ばかりですね。

「初めて日本一になったのも高校時代でした。国体で埼玉に17-10で勝利して優勝しました。花園ではなく国体だったので、当初あまり達成感はなかったのですが、次第に『日本一になるとはこういうことか』という感覚を知ることができました」

── 五郎丸さんが高校時代に一番得たものは何ですか?

「技術うんぬんよりも『人として』という部分を小城監督に教えられました。練習が終わったあとにみんなで集まって監督の話を聞く時間があるのですが、そこではラグビーの話というより、先人の話や歴史的な話が多くて、非常に勉強になることが多かった。

 50年以上前に佐賀工でラグビー部を作ったのも小城監督です。『数々の先輩たちがいたからこそ、今の僕らがある』という話もよくおっしゃっていました。あと、日本人として持っておかなくちゃいけないマインドなど、ラグビー以外の考え方もすごく教えられたと思います」

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