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シナリ・ラトゥ「トンガ旋風」の衝撃 愛する日本のために桜のジャージーを選び続けた偉大なる先駆者 (3ページ目)

  • 斉藤健仁●取材・文 text by Saito Kenji

【トンガと日本の架け橋になりたい】

「日本に対して感謝、ありがとうの気持ちしかない」

 大学から日本で暮らすラトゥは、トンガ代表ではなく、桜のジャージーを選び続けた。

 1987年に行なわれた第1回ワールドカップのアメリカ戦で初キャップを飾ると、1989年のスコットランド戦では好タックルを連発し、28-24の歴史的勝利に貢献。1991年にはジンバブエ相手に52-8で勝利し、日本のワールドカップ初勝利にも寄与した。

 現役引退後、ラトゥは三洋電機のコーチや母校・大東文化大学の監督を歴任。さらには「トンガと日本の架け橋になりたい」という強い思いから、2021年にNPO法人「日本トンガ友好協会」を発足させた。

 現在、日本に住んでいるトンガ人は200人以上で、その多くはラグビー関係者だという。

「だいぶ増えて、僕が知らないトンガ人選手もいる。日本のレベルもどんどん上がっているので、よっぽどがんばらないと日本代表に入ることはできない。日本に来て伸びる選手もいれば、そうでない選手もいるので、サポートしていかないといけない」

 ラトゥは日本でプレーするトンガ人の後輩たちに、こうエールを送る。

「ノフォムリさんや、僕のタックルは激しかったです。今のトンガ人のタックルは優しいね。トンガ人と対戦したら怖い、二度とタックルに行きたくない......と思わせないと」

 2022年1月、海底火山の大規模な噴火によって、トンガは大きな被害を受けた。被災したトンガの復興支援を目的に、ラトゥは中心のひとりとなって日本ラグビー協会にチャリティーマッチを打診し、6月に実現させた。

 ラトゥのあとを追って、現在まで多くのトンガ出身選手が来日し、日本代表まで駆け上がっていった。1980年代にラトゥたちから始まったトンガと日本との絆(きづな)は、太く、強くなるばかりだ。

著者プロフィール

  • 斉藤健仁

    斉藤健仁 (さいとう・けんじ)

    スポーツライター。 1975年4月27日生まれ、千葉県柏市育ち。2000年からラグビーとサッカーを中心に取材・執筆。ラグビーW杯は2003年から5回連続取材中。主な著書に『ラグビー『観戦力』が高まる』『世界のサッカーエンブレム完全解読ブック』など多数。

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