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シナリ・ラトゥ「トンガ旋風」の衝撃 愛する日本のために桜のジャージーを選び続けた偉大なる先駆者 (2ページ目)

  • 斉藤健仁●取材・文 text by Saito Kenji

【そろばんを学びつつ大学選手権を制す】

 日本への留学は当初、親に反対されていたという。しかしそれを押しきって、WTBワテソニ・ナモアともに来日。すでに日本で生活していたWTBノフォムリ・タウモエフォラウとCTB/FBホポイ・タイオネに次ぐトンガ人留学2期生として、1985年2月に大東文化大に入学した。

 そもそもトンガの先輩たちが来日したきっかけは、トンガ国王が奨励していた「そろばん留学」。ラトゥも1年目は大東文化大の別科(日本語研修課程)で日本語を学びつつ、そろばん塾にも通った。

 来日1年目は関東リーグ戦2位。しかし、ラトゥをNo.8に据えた2年目(1986年度)は、群を抜いたパワーを見せつけて関東リーグ戦で優勝を飾った。

 その勢いは大学選手権でも止まらない。初戦で大阪体育大を15-9で退けると、準決勝は明治大に11-3、さらに決勝では早稲田大に12-10で勝利し、いきなり初優勝をつかみ獲った。

「僕らが大学で優勝したから、その後もトンガ人が日本にどんどん来るようになった。ただ、ノフォムリさんが途中でトンガに帰っていたら、僕も日本には来なかったと思う」

 大東文化大に5年間通ったラトゥは、在学中一度もトンガに里帰りをしなかった。

「僕がトンガに帰ったら、もう戻ってこないと思ったから、みんな僕を帰らせなかったのでは(笑)。たぶん僕も、帰ったら日本に戻って来なかった(笑)。何度か途中で『帰りたい』と言ったことはあったよ。でも、ナモアさんが一緒にいたからホームシックにならなかったですね」

 ラトゥは懐かしそうに振り返ながら笑った。

 大学卒業後のラトゥは、先輩のノフォムリを追って三洋電機(現・埼玉パナソニックワイルドナイツ)に入部。社会人の強豪チームに入っても、ラトゥの勢いは変わらない。FWの中軸として全国社会人大会の決勝に5度も導いた。今の日本ラグビーを牽引するワイルドナイツの礎(いしずえ)を作ったひとりであることは間違いない。

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