菊谷崇が悔やむ日本代表の結末「勝っていたら次の4年が変わっていた」 (4ページ目)

  • 松瀬 学●文 text Matsuse Manabu
  • 小倉和徳●写真 photo Ogura Kazunori

――2011年の日本代表のスローガンは?

「"グッド・トゥー・グレ―ト"(グッドからグレート)ですね。選手の中では、"ワン・チーム"と言っていました。僕が代表チームのキャプテンになってから、若い子もたくさん、入ってきて、外国人選手もいる中で、ひとつになりましょうと。ワン・チームがチーム内のキーワードで、さらにスタッフを含めて、グッドではなく、グレートになろうというのをやっていました」

――結局、1分け3敗で終わります。グレートには届かなったということですね。

「そうですね。結果がすべてなので」

――2011年の日本代表はワン・チームにはなれたのでしょうか。

「いい意味でも、悪い意味でも、選手主体だったので、ちょっとぶれた部分もあったのかなと思います」

――当時、日本代表は史上最強と言われていました。選手の力量は高かったですよね。

「選手の力量でいえば、全然、今の日本代表のほうが高いでしょうが......。たしかに僕らの力量も高かったと思います。ただ、ワールドカップで6人、ケガしたかな。そこがちょっと難しかったですね。あの時は現地にバックアップ・メンバーはいなかったので。けが人が出たあと、(入れ替えの補充は)全員、日本から呼んだのです」

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