菊谷崇が悔やむ日本代表の結末「勝っていたら次の4年が変わっていた」 (2ページ目)

  • 松瀬 学●文 text Matsuse Manabu
  • 小倉和徳●写真 photo Ogura Kazunori

――さて、2011年のラグビーワールドカップのことです。真っ先に思い出すのは、どんなシーンでしょうか。

「最終戦ですね。カナダ戦、勝てなかったのが一番大きいですかね」

――会場が、ニュージーランドのネイピアですね。スコアが23-23。たしかラスト10分で10点差を追いつかれました。負けに等しい敗戦でした。私の記憶では、ノーサイドのあと、菊谷さんが大野均さんと肩を抱き合って泣いていましたよね。

「どうでしょうか。覚えてないですね。なんだか、メチャ、泣いていたと言わせたい感じですね。ははは。じゃ、泣いてないです」

――泣いたかどうかはともかく、キンちゃん(大野均さん)と一緒に悔しがっていましたよね。肩を抱いて。

「それは、間違いないです。やっぱり、結果を出せなかったので...」

――引き分けじゃダメですか。

「ダメって、マスコミの人も言っていましたよ。あの時は、目標が大会2勝だったので...。メディアはきつかったですよね。まあ、いつも、そんなものなんでしょうが。そんな(期待が大きい)なか、勝てなかったのは大きかったですね」

――初戦のフランス戦(●21-47)は、健闘していた記憶があります。

「そうですね。フランスには、勝ちにいくといって、いい試合をしていたんですけど、最終的に勝つか負けるかという時に(勝利を)取りこぼしたイメージが大きいです。60分までぐらい、いい試合をして、あと20分もあるのに攻め急いだんです。最後に怒とうの攻撃をしようとしたのに、ボールをキープできなかった記憶があります。キャプテンとしては、一回、チームとして落ちつかせて、コントロールしていれば、結果はともかく、点差は変わっていた可能性はあります」

――スクラムもコラプシング(故意にスクラムを崩す反則)をとられました。

「スクラムは基本的に難しかったんです。大会直前にイタリア遠征して、イタリア(●24-31)に押されたんです。頑張って対処しましたけれど、すぐに修正ができるわけがありません。そういうところが、強化として足りなかったんです。だから、2015年に向けては、スクラムを鍛えていったんです」

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