菊谷崇が悔やむ日本代表の結末「勝っていたら次の4年が変わっていた」 (3ページ目)

  • 松瀬 学●文 text Matsuse Manabu
  • 小倉和徳●写真 photo Ogura Kazunori

――第2戦のニュージーランド戦には7-83で完敗。必勝を誓った第3戦のトンガ戦でも、18-31と負けてしまいました。

「トンガ戦もミスが多かった。エディー(ジョーンズ前日本代表HC=現イングランド代表HC)になった時、よくキャップ数(国別代表戦出場数)といっていましたけど、やっぱり経験値って大事なんです。トンガはワールドカップイヤーになると、いいメンバーが集まるじゃないですか。フランス戦もトンガ戦もカナダ戦も焦って、自分たちで崩れるケースが多かったのかなと思います。ぶれない戦い方が重要なんです」

――そうですね。最後のカナダ戦も自滅のような展開でした。

「その前の(2007年)大会もカナダと引き分けだったでしょ。今度こそはと思って、ジャパンのリズムで攻めていた記憶があります。なのに、追いつかれて」

―ラスト10分ですよね。

「そこをちょっと悔やみますね。ただ勝利を持ち帰ることができなかったという申し訳なさのほうが大きかったと思います。当時、まだ若かった堀江(翔太)とか、田中フミ(史朗)とか、そういうメンバーに対しても申し訳なくて...。あそこで勝っていたら、次の4年間が変わっていたという思いもあります」

――あのカナダ戦。最後に追いつかれた理由は何だったのでしょうか。

「たくさん、あるんじゃないでしょうか。そのあと、エディーの時代に入って、ラグビーにとことん厳しくなりました。戦術的なところもそうだし、練習量や練習強度もそうだし、僕らのJK(ジョン・カーワンHC)の頃は、それが明確になってきている時代でした。その後の2012年のスタートの時に感じたんですが、エディーは"どうやって勝つのか"という落とし込みがすごくできていたのです。"ああ、新しいラグビーだな"って。どうやって勝つのかというのが明確になって、そのためにはどういう練習をしないといけないのかと。2015年(のRWC)と比較すると、2011年では、まだ、そのあたりが足りなかったのかなと思います」

――でも、JKも必死でしたよね。

「そりゃ、そうです。JKも、選手も、全員、必死です。どの国も全員必死で取り組んでいるのに、勝つ国と負ける国が生まれるのです。その差というのは、自分たちがどう勝つのか、どうやって戦うのか、それがぶれないか。目標に対して、練習のアプローチが、より具体的で明確なチームの方が強いと思います」

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