林敏之が考えるW杯躍進のヒント「日本人はマラソンなら金をとれる」
レジェンドたちのRWC回顧録④ 1987年大会 林 敏之(後編)
ラグビーの国際統括団体(当時はIRB=インターナショナル・ラグビー・ボード、現在はワールドラグビー)がサッカーに遅れること57年、ついに世界一決定戦、ワールドカップ(RWC)を1987年にスタートさせた。
日本代表にエールを贈った林敏之
第1回大会には、16の国と地域が参加した。日本代表は初戦のアメリカ戦で惜敗し(18−21)、イングランド戦では大敗を喫した(7−60)。だが、奮起した最終戦のオーストラリア戦では、後半途中まで互角の戦いを演じた。結局、23-42で敗れながらも、日本のプライドは示した。
日本は3戦全敗で大会を終えた。「世界」のレベルとの差を痛感させられた大会となった。以降、日本代表の「世界」への挑戦が続いている。第1回大会、日本代表の林敏之キャプテンは「ワールドカップが始まって、世界のラグビーが変わっていったよね。日本ラグビーは勝ち方を模索していくことになった」と振り返った。
――林さんは1991年の第2回RWC英仏大会にも出場しました。模索した勝ち方とは。
「例えば、イングランドやスコットランドにどうしたら勝てるのかって、日本ラグビーはずっと模索していくんだ。次のワールドカップで、日本はジンバブエに勝ったよね(52-8)。でもスコットランドには大敗した(9-47)。どうやったら勝てるのかと模索しながら。どうボールを速く動かすのか、半歩早くいってボールを出してみることなどに取り組んだ。宿沢さん(広朗=当時の日本代表監督)の時にやっていたけど、それがなかなか勝利に結びつかなかった。前回(2015年)のワールドカップの南アフリカ戦のような試合はできなかったんだ。あのスタイル (世界一のフィットネスを武器とし、素早く賢く動き、全員で短いパスをつなぎ続けるカタチ)は、まだ発想できていなかった。日本独特のプレーをしないと勝てないということを言いながらも、(攻守の)形として表せないジレンマがずっとあった」
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