林敏之が語るラグビーW杯大会。名選手揃いも「勝ち方を模索してた」 (2ページ目)
――最初に思い出すことは、何でしょうか。
「最後のオーストラリア戦が終わった時のことかな。なんとか、まともな試合をしたという感じだった。最後の試合が終わった。ホッとした感じだった。あれはもう、やり切った試合だった」
――途中まで互角の展開でした。
「食らいついて、僅差の試合ができていたよね。オーストラリアはあの時、オールブラックス(ニュージーランド代表)より勝率がよかったからね。優勝候補ナンバーワンと言われていた。結果は(準決勝で)フランスに劇的な逆転負けを喫してベスト4で終わったのかな。でも、アラン・ジョーンズが監督をしていて、強かったんだ」
――初めてのワールドカップです。どんな大会でしたか。
「そんなもの、できんのかって。そう、みんなワールドカップがどんなものか、わからないものね。(招待大会で)予選もなかった」
――キャプテンとして意識したことは。
「当たり前だけど、ベストを尽くして勝ちたいということだけだったね」
――監督が人情家の宮地克実さんでした。
「そう、宮地さん。日本代表スコッドは選手26人で、団長、監督、コーチ、フィジオ(セラピスト)を含めて30人だったよね。いまは31人の選手がいて、バックアップメンバーやスタッフ20人ぐらい連れていくでしょ。僕らは合宿の時、メンバーが足りないから、宮地さんがアタック・ディフェンス(タックルなしの実戦形式練習)にも入っていた。それで、敵陣からどかん、どかんとラックに入ってきてさ。あの時、いくつかな。50前かな。すごいな、このオッサンって」
――日本代表のチームスローガンってあったんですか。
「あったよ。おれたちのチームは、"団体でいこう"だった。あの時、(シナリ)ラトウがスクラムから右サイドを攻める"ラトウ単独"というサインプレーがあったんだ。練習で、"ラトウ単独"って言ったら、宮地さん、"あかん、あかん、単独はあかん、団体で行け"って。それで、動きは一緒だけど、サインが"ラトウ団体"になった。ま、みんなで行こうという話やね。ラトウのサイドアタックは、"ラトウ団体"って言ってね。ははは」
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