【プレーバック2024】満身創痍の早田ひなに2つのメダルをもたらした「常在戦場」の精神 (2ページ目)
【仲間の戦いに誰よりも声援を送っていた】
そして団体戦でも、彼女の勝負魂は濃厚に出ていた。仲間の戦いに誰よりも声援を送り、コーチ顔負けでアドバイスをおくる姿は印象的だった。コート脇にいるのに、彼女自身も敵と対峙しているように見えた。まさに「常在戦場」の精神だろう。常に戦場にいる心構えで事を成せ、という心意気だ。そこで試合後、筆者は一つ質問を投げた。
――団体戦を通じ、コートサイドで味方選手を見守る様子が、とても真剣な眼差しで共に戦っているようにも見えて......。
彼女は、真っすぐ目を見て答えた。
「(選手たちが)帰ってきた時に何を伝えればいいのか、いつも考えながら見ています。私は東京五輪のリザーブで(試合を見守る)いい経験をさせてもらったので。この選手にとって何が必要なのか、何を言ったら自分が変われそうか。真剣に考えながら、試合を見ている感じで。だから、試合をしている選手と一緒に、私も後ろで戦っている感覚で見ていました」
早田は得点が決まるたび、(ケガをしていない)右腕を突き上げ、膝をバンバンと叩いた。共闘精神もあるだろうが、それを越えた迫力だった。本当に、彼女は戦っていたのだ。そうして全力で集中して卓球を見ることは、技の模倣や対抗するプレーのヒントなど、すべて自分に跳ね返るという。
「(東京五輪後)3年間、日本代表の中で一番努力していた、と言いきれるくらい、自分を追い込んでやってきました。おかげで(個人戦で)銅メダルをつかめて、3人で銀メダルも獲ることができて、やってきたことが間違いじゃなかったと思えます。でも、自分よりも努力した人たちが銀、金を獲っているので、今度は金メダルを持ち帰れるように。さらに自分を追い込んで......」
その闘争マインドが、彼女自身を遠くに連れて行く。
「好きな卓球ができる、というのは当たり前じゃない、と思っています。そこを感謝し、4年後のロス(五輪)に向け、突っ走っていきたいです。このタイミングで腕をケガするとは思わなかったですけど、これがあったから人の温かさや思いを感じました。自分ではなく、誰かのために戦いたい、と再確認できて。人として成長させてくれたオリンピックだったと思います」
早田のひたむきさは、傑出した才能だ。
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著者プロフィール
小宮良之 (こみやよしゆき)
スポーツライター。1972年生まれ、横浜出身。大学卒業後にバルセロナに渡り、スポーツライターに。語学力を駆使して五輪、W杯を現地取材後、06年に帰国。著書は20冊以上で『導かれし者』(角川文庫)、『アンチ・ドロップアウト』(集英社)など。『ラストシュート 絆を忘れない』(角川文庫)で小説家デビューし、2020年12月には『氷上のフェニックス』(角川文庫)を刊行。パリ五輪ではバレーボールを中心に取材。
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