ライバル選手がチームを組む難しさ。
世界卓球で見えた日本男子の課題 (5ページ目)
普段はライバルとして鎬(しのぎ)を削る選手と力を合わせて戦う団体戦は、選手たちが共有できる目標や理念が必要になる。戦後の"卓球ニッポン"を支えた荻村伊智朗(おぎむら・いちろう)氏は強化本部のヘッドコーチを務めたとき、日の丸を背負う選手たちにこんな声をかけ、1967年ストックホルム大会で日本チームを男女とも団体優勝に導いた。
「画家はキャンバスに絵筆で、バイオリニストは音で宇宙を表現する。俺たちは卓球で宇宙を表現するんだ」
「俺たちはただ勝つために卓球をやるんじゃない。人間の文化を向上させるために、ラケットを振るんだ」
あまりに次元が違いすぎて共鳴できる人は少ないかもしれないが、倉嶋監督が今大会の敗因のひとつに挙げた「メダルを獲ることが当たり前になっていた」という心理で選手たちが戦っていたとすれば、日本チームはメダル獲得以上の価値観を共有できていなかったことになる。
荻村氏の愛弟子でもある織部氏は、こう指摘する。
「目の前の1勝にばかり気を取られていると、ライバルの存在を意識してしまう。自分という人間を磨くために卓球をしているという感覚を持てば、ライバルも競争相手ではなく、自らを高めてくれる存在として受け止められるようになる。中国の選手が追い詰められても勝負どころで試合を制するプレーができるのは、卓球を深く考えているからだと思います。選手一人ひとりが深い部分で卓球を考えているから、チームになっても強い」
前向きにとらえれば、今回のつまずきは日本の男子卓球が新たなステージに上がった証(あかし)とも言える。「東京五輪に向け、これを最後の挫折にしたい」という張本の思いを形にするためにも、日本は団体戦で勝つためのアプローチを根本的なところから見つめ直し、実践していかなければいけない。
卓球ニッポンの遺伝子を受け継ぐ彼らには、その力があるはずである。
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