【女子バスケ日本代表】原点は「ポートボール」WNBA指名を受けた20歳のPG・田中こころ、いざワールドカップへ (2ページ目)
【濃すぎる桜花学園での学び】
――高校では名将の井上眞一氏(2024年12月逝去)が率いる名門・桜花学園高校に進みます。話が来た時はどのような心境でしたか?
「『間違いでは?』と思いましたよ。愛知県で開催された全国のクラブチームが集まる大会に2年生で出場した時に、会場にいたどこかの指導者の方が、井上先生に『いい選手がいる』と言ってくださったようです。
当時の私は、姉と同じ高校に行くかなと考えていたのですが、とりあえず桜花学園に体験に行ってみようとなり、練習に参加しました。そこで衝撃だったのが声の大きさとパスから教えられたこと。普通の三角パスですが、井上先生が『もっと沈め』『手伸ばせ』と細かく言っていて。こんなに強いのにパスから教えられるのか、だから強いんだと思いました。
その時に、このうまい人たちのなかでやったら、自分がどれぐらいのレベルになるのだろう、たとえベンチ入りできなくても、ここでやりたいと思ったんです。ここでバスケットをしたら、この先の人生変わるかなって。実際に入学してからも周りは上手だし、練習では基本的なことをしっかりやる。それに井上先生は選手みんなに目を配っていて、誰にでも注意や声をかける。毎日が刺激だらけの3年間でした」
――中学とはまったく違った環境になりましたね。
「桜花学園では、大量のセットオフェンスを覚えないといけないんです。覚えることはもともと好きですが、セットオフェンスをやっと覚えたと思ったら、次はゾーンディフェンスに関する動きを20〜30種類。そうやって、たくさんのことを覚えるところから始まりました。
個人スキルはそれまでも教えてもらっていたけれど、セットプレーはやったことがなかったので、入学当初はみんなが知っているバスケ用語でも、私は知らないものが多かったです。
――2年生からは主力で試合に出場。3年生ではキャプテンを務めました。
「上に立ってみんなを引っ張る立場になり、(ダブルキャプテンで)黒川心音(現・筑波大学3年)もいましたが、ゲームキャプテンは私だし、どんな時でも波なくプレーしなくてはいけないと思っていました。そういう責任や自覚を持って取り組んだ1年ではありました。
でも今思うと、もっと周りに頼ってもよかったのかなと。大事な1本を決めないといけない場面では私が意地でも行くのですが、時には周りを頼ってパスを出して、声をかけるなどしていたら結果は変わったのかなと考えることはあります。
桜花学園での3年間は決して複雑なことを教えられたわけではなく、ディフェンスでの手の位置やストップの仕方など誰もができることを教わりました。そうした基本を3年間やり続けられたこと、井上先生が教えてくれたことが今につながっています。プロの世界でも基本的なことができないとやっていけないし、細かいことを一つひとつ、しっかりできる選手が上に上がっていくとも感じるので、3年生の時に全国優勝はできませんでしたが、桜花学園で過ごした3年間は大きな財産です」
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