バスケ男子日本代表「比江島慎の後継者」は誰? 富永啓生に突きつけられた「vs世界の強豪」という壁 (2ページ目)
【起爆剤は飛び道具を持つ富永】
「間違いなく厳しい敗戦です。大会に入る前からこの(イランとの)試合がどれだけ重要か、わかっていました。その試合を落としたことは悔しいです」
イラン戦後の記者会見で、富永は英語でそのように語った。
アメリカ・ネバダ州のラスベガスで開催されていたNBAサマーリーグが終わったのち、富永はすぐに帰国して日本代表の強化試合を観戦している。この試合も含めて日本は6つの強化試合すべて80得点に到達することができず、攻撃力不足は明白だった。
富永はおそらく、そのことを意識していただろう。アジアカップでは3Pという特別な「飛び道具」を持った自分が起爆剤になるのだ、という意識も強かったはずだ。
ただ、富永が輝きを取り戻したことについては、素直に評価してもいいのではないか。
昨シーズン、富永はNBAインディアナ・ペイサーズの下部チームであるGリーグのインディアナ・マッドアンツに所属したが、思うように出場機会が得られず苦しい時間を過ごした。
厳しい状況は、サマーリーグにおいても近いものがあった。ペイサーズは5試合を戦ったものの、富永がコートに立ったのは3試合。2試合では出番がなかった。最後の5試合目では先発出場を果たしたが、全体では平均11分強の出場で平均5得点に終わっている。
サマーリーグはNBA定着を狙う若手の登竜門であるだけに、自身のアピール合戦になりがちな側面はある。富永はそうした環境で、コートに立っていてもボールが回ってこない難しさも経験した。アジアカップで先発として長い時間コートに立ち、ハツラツと3Pシュートを打ち続ける姿は、その背景を知るだけに感慨深いものがある。
現在の日本代表には、「比江島慎のあと、誰が正シューティングガード(SG)に収まるか」という命題が突きつけられている。2010年代前半から10年以上にわたって日本代の主力として活躍してきた比江島(宇都宮ブレックス)がパリ五輪後、代表からの勇退を示唆したからだ。
その後、復帰の話もあった(オフシーズンに宇都宮が国際大会へ出場するためにアジアカップへの招集は見送られた)が、彼も8月11日に35歳となった。2027年のFIBAワールドカップや2028年のロサンゼルスオリンピック、さらにその先を見据える時、「2番ポジション」で比江島に代わる確かな才能を確立しておくことは必須だ。
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