NBA伝説の名選手:レイ・アレン 才能ではなく積み重ねで築いた一流スコアラーの記録と "歴史に名を刻むビッグショット"の記憶 (2ページ目)
【王者としての実績と歴史に残る同点ショット】
今でも歴史的インパクトを伴う、アレンの2013年ファイナル第6戦の同点シュート photo by Getty Images そんなアレンに転機が訪れる。2007年6月末の大型トレードでボストン・セルティックスへ移籍。生え抜きのポール・ピアース、ウルブズから移籍してきたケビン・ガーネットと"ビッグスリー"を形成し、主力の一角となって2008年のプレーオフを制して、初優勝を遂げた。
この年を皮切りに、プレーオフでは印象的な活躍を見せていく。翌2009年は、シカゴ・ブルズとの1回戦第6戦では3度の延長にもつれた大激戦でプレーオフ自己最多の51得点を奪って見せ場を作り、2010年のファイナル第2戦ではロサンゼルス・レイカーズ相手に前半だけで7本の3ポイントをヒット。ハーフ(前半または後半)では今もなおNBAファイナル歴代最多記録となっている。
だが、時間が経つにつれてガーネットやラジョン・ロンドとの関係が悪化し、2012年夏にヒートへ移籍。レブロン・ジェームズ(現レイカーズ)、ドウェイン・ウェイド、クリス・ボッシュの"スリーキングス"を補佐するシックスマンに回った。
ヒートは2011年から2014年にかけて4年連続でファイナルへ進出。そのうち2012、13年は2連覇を達成した。そして、アレンが"起死回生の同点弾"を決めたのは、ヒートでの最初のシーズンとなった2013年だった。
サンアントニオ・スパーズとのファイナル第6戦。2勝3敗で追い込まれていたヒートは試合時間残り約20秒で3点を追う展開で、レブロンの3ポイントが外れて万事休すかと思われた。
だが、ボッシュがオフェンシブ・リバウンドをもぎ取り、右コーナーへバックステップで戻るアレンへパスを通すと、当時37歳のベテランが延長へ持ち込む値千金の3ポイントをリングへ突き刺した。
これがシリーズの流れを大きく変え、ヒートはその試合を延長の末に制し、続く第7戦を勝ちきって球団史上初の2連覇を達成した。翌2014年はスパーズのリベンジに遭い、アレンはこのシーズンを最後にコートから去ることに。
アレンはプレーオフのシリーズで相手チームに王手をかけられて戦い抜いたことが何度もあったのだが、2013年ファイナル第6戦は2001年のカンファレンス決勝第7戦で敗れた苦い記憶が原動力になっていた、とのちに語っていた。
「フィラデルフィアに負けた2001年を思い出した。あの時、イースタン・カンファレンス優勝を早々に彼らは祝っていたんだ。(セレモニー用の)ロープ、それにトロフィーも見えていて、それが僕のなかを駆け巡った。まだゲームは終わっていないんだと、すごく腹が立っていた。2001年と同じ気持ちだった。だから絶対にあきらめず、最後まで戦うんだと誓ったんだ」
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