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NBA伝説の名選手:ラリー・バード「メンタルとシュート力で上り詰めたスーパースターの栄光とトラッシュトーカーとしての側面」 (3ページ目)

  • 青木 崇●文 text by Aoki Takashi

【トラッシュトーカーとしての側面も】

 バードが偉大な選手と言われる理由は、土壇場でビッグショットを決められる勝負強さを備えていたことが大きい。「特に高校時代から、試合の結果はおそらく自分次第だろうと常にわかっていた」と話しており、ブザービーターで何度もセルティックスを逆転勝利に導いていた。また、1987年のイースタン・カンファレンス決勝、ピストンズとの第5戦の土壇場で相手のインバウンドパスをスティールし、デニス・ジョンソンの逆転レイアップをアシストしたシーンは、バードがいかに冷静で賢い選手であることを象徴するものだった。

 また、当時対戦した選手の間では、バードはトラッシュトークで相手を困惑させる選手としても有名だった。現在TNTのコメンテーターとして活躍中のチャールズ・バークリーは、フィラデルフィア・76ers時代のエピソードとして、こんな話をしている。

「彼が小声で悪態をついていたから、私は『ラリー、どうしたんだ?』と聞いたんだ。すると、彼は『お前たちは私への敬意がない』と言うんだ。私が『何を言っているんだ』と返すと、『お前たちは、私に対して白人をマッチアップさせている。それが失礼なんだ』とね。私はただ笑い出すしかなかったし、言い返す術もなかったね」

 これは、『身体能力が高い黒人選手であっても、自分を止めることはできない』というバード自身の確固たる自信の表れ。1986年に初めて実施されたオールスターの3Pコンテストの前には、ロッカールームで静かに過ごしていた参加者に対し、「誰が2位になるか見ているんだ。ここにいる全員が2位になることについて考えているのを望んでいる。優勝するのは、私だ」と口にしたという。88年まで3年連続で3Pコンテストのタイトルを獲得したバードはこのことについて、後年、インディアナ・ペイサーズの偉大な選手だったレジー・ミラーとのインタビューで事実だと認めている。

 バードのトラッシュトークは、相手を威嚇や挑発することよりも有言実行タイプのものが多く、彼を『True psychological assassin(本物の心理的暗殺者)』と呼ぶ選手もいた。

 現役引退後はセルティックスのフロントオフィスに在籍したが、1997年に子どもの頃に大好きだったペイサーズのヘッドコーチに就任。2000年のファイナルでレイカーズに敗れたあとは現場を退き球団社長、アドバイザー、コンサルタントを務めるなど、ペイサーズとの関わりが深い人生を送っている。

【Profile】ラリー・バード(Larry Bird)/1956年12月7日、アメリカ・インディアナ州生まれ。インディアナ・ステイト大出身。1978年NBAドラフト1巡目6位指名。
●NBA所属歴:13年=ボストン・セルティックス(1979-80〜91-92)/NBA王座:3回(1981、84、86)/シーズンMVP:3回(1984〜86)/ファイナルMVP:2回(1984、86)/新人王(1980)/オールNBAファーストチーム:9回(1980〜88)/オールスターMVP:1回(1982)
●主なスタッツリーダー:フリースロー成功率リーダー(1984、86、87、90)
●アメリカ五輪代表歴:1992年バルセロナ五輪(優勝)
*所属歴以外のシーズン表記は後年(1979-80=1980)

著者プロフィール

  • 青木 崇

    青木 崇 (あおき・たかし)

    1968年群馬県前橋市生まれ。1992年から月刊バスケットボールとHOOP誌の編集者を務めた後、1998年に独立して渡米。アメリカ・ミシガン州を拠点にNBA、NCAA、数々のFIBA国際大会を取材。2011年から拠点を日本に戻して活動を続け、Bリーグの試合で解説者も務めている。

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