奇跡の集結から29年。初代「ドリームチーム」12人たちの今(後編) (2ページ目)

  • 永塚和志●取材・文 text by Kaz Nagatsuka
  • photo by AFLO

 レイトナーにとって、ドリームチームへの参加はあまりいい思い出ではなかったようだ。バルセロナ五輪で獲得した金メダルも、周囲の前で取り出すことはほとんどないという。

 バルセロナ五輪直前のNBAドラフトで、オニールは全体1番目、レイトナーは全体3番目で指名された。その後、オニールはNBAを代表するセンターとなったが、レイトナーはミネソタ・ティンバーウルブズをはじめ計6チームを渡り歩いたあと、2005年いっぱいで現役から引退した。

 プロ入り後の数年間は平均得点で10点台後半の数字を挙げるなど、いい働きをしていたとは思う。だが、最優秀選手賞を獲得するなど数々の栄光を勝ち取った大学時代と比べると、「物足りない」と見られてしまったのは不幸だった。

 そんなレイトナーは、引退後に一時メジャーリーグサッカーのDCユナイテッドの共同オーナーとなったり、NBAの下部リーグNBDL(現Gリーグ)でアシスタントコーチを短期間務めたりした。現在はユース向けのバスケットボールクリニックプログラムに関わっている。

 オリンピックチャンネルの『Zチーム』というドキュメンタリー番組で、レイトナーがとあるバスケットボール弱小高校に指導を施すという企画があった。そのなかでレイトナーが、ドリブルよりもパスの重要性を強調する場面がある。

 ドリームチームでもNBAでも個人技に秀でた選手に囲まれてきた彼のその言葉は、レイトナーがやはり大学最強の選手だったと思わせたのと同時に、個人プレーに走るプロバスケへの間接的な苦言のようにも聞こえた。ちなみに、ドリームチーム自体はプロバスケットボール殿堂入りを果たしているが、選手として殿堂に入っていないのはレイトナーだけである。

 ステフィン・カリーを擁して2015年から5年連続でファイナルへ進出し、うち3度王座に戴冠したゴールデンステート・ウォリアーズは、近年のNBAで最も大きな成功を収めているチームだ。だが、振り返れば約30年前にも、ウォリアーズがブームになった時代があった。

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