【男子バスケ】ケガから復帰。田臥勇太「もう一度、NBAの舞台へ」
ケガから復帰した田臥勇太がリハビリ中の苦悩、現在の状況、そして将来の夢を語ってくれた 田臥勇太がコートに帰ってきた。
2008年、田臥はJBLのリンク栃木ブレックスに入団。6年ぶりに国内復帰を果たした。そのオフ、NBAに再挑戦を表明し、ダラス・マーベリックスから招待され渡米。だが、キャンプが始まる直前のワークアウト中、3on3をしていた時だった。ジャンプパスから着地した瞬間、右かかとに激痛が走り立てなくなった。ただ、NBAという夢の扉が目の前に待っている。痛みに耐えながら、できる範囲でキャンプに参加した。
しかし、NBAに胸を焦がした想いの代償は、想像以上に大きかった。その後、ブレックスに再合流したものの、2009-2010シーズンは開幕から1ヵ月以上の欠場を余儀なくされた。さらに、一度は完治した右足を気づかぬうちにかばい、少しずつ身体のバランスは崩れていく。蓄積する疲労と負荷。昨シーズン、今度は左かかとを故障してしまう。
2012年10月25日。2012-2013シーズンの開幕日、コート上に田臥の姿はなかった。
そして、シーズン開幕から遅れること約2ヵ月。12月14日の日立サンロッカーズ戦で、ついに田臥がコートに帰ってきた――。
――復帰後、4試合に出場しました。現在の感触はいかがですか?
田臥 まだまだ万全ではないですけど、少しずつミニッツ(出場時間)を伸ばせていければ。ただ、昨年のうちに試合に出られたことは、自分にとっては前進だったんで、少しだけ安心しました。
――足底腱膜炎と診断されたそうですが、故障の原因は?
田臥 僕の動きにクセがあって、とっさのタイミングで後ろに体重をかけがちなんです。足裏をバランスよく使えていなくて、負荷がかかっていた。だから治すのと並行して、再発しないような動きをトレーニング中です。
――バランスを変えることは、田臥選手の『良さ』を消すことにはならないのでしょうか?
田臥 そこを消さないようにしながら、プレイの選択肢の幅が広がるようトレーニングを続けています。
――つまり、治療というよりは、『さらに進化する』というイメージですか?
田臥 そうですね。力を入れすぎていた部分があったので、力の入れ方を変えたら、もっとこういけるって思うことが多くなりました。動きの軽さ、幅が広がるのをすでに感じています。今はまだ、「ここなら、こうできる」というイメージだけは持ちつつ、試合では(無理して)踏み込まないようにしていますけど。
――ということは、これからさらにギアを上げていくということですか?
田臥 まだまだ、これからですね。進化しなきゃいけないな、と。
――ところでリハビリ中は、どんなことを考えていましたか?
田臥 できることは限られている。その中でベストを尽くすってこと。あとは、やっぱり、ポジティブで居続けること。治るだろうな、治したいな、じゃなくて、治しにかからないと治らない。挑み続ける姿勢。それは、アメリカで学んだことのひとつだと思います。
――32歳でリハビリを続ける中、『引退』の二文字がよぎることはありませんでしたか?
田臥 全然、ないです。「(引退って)どんなんだろう?」って思います。それを感じたら、終わりに近いのかな。わかんないですけどね。
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