【F1】角田裕毅は9位でも「込み上げるものがあった」 元チームメイトの3位表彰台と比べる必要はない (3ページ目)
【このうえなく価値ある輝き】
角田自身も、かなり難しい適応を強いられたと振り返る。
「ふだんとかなり違うドライビングスタイルで運転しなければならなくて、普通じゃあり得ない大きなチャレンジでした。そのなかでもセーフティカー中に適応して11位から9位まで挽回し、うまくレースを遂行することができたのはよかったと思います」
最後まであきらめることなくポジションを上げていけたのは、それだけ「入賞」という結果を渇望していたからだ。
次々と試練が降りかかるなかでも、過去2戦のようにフラストレーションを爆発させることもなく、冷静さを保ち、自分にやれることはすべてやりきった。それが9位入賞という結果につながった。
「今回のレースは、すべて自分に不利な状況が続いて、最後のスティントはとどめを刺すかのようなトラブルがあって......。それでもポイントを獲らなきゃいけないのもわかっていたので、そのなかで獲れたのはよかったなと思います。
ふだんなら、9位というのは特別な結果ではないです。だけど、あれだけいろんなことが起きて前のクルマを抜いて来なければならない状況で、しかもずっとポイントが獲れていなかっただけに、僕にとっては特別でした」
元チームメイトのイザック・アジャが3位表彰台を獲得し、大いに盛り上がる表彰式を横目に、角田はアジャと古巣のスタッフたちに祝福の言葉を送った。予選で4位を獲得し、欲をかかずに堅実なレース運びに徹してノーミスで走り続けたのはすばらしかったが、ランド・ノリス(マクラーレン)のリタイアという極めて特殊な状況が彼を表彰台に押し上げたことも事実だ。
他チームのドライバーが何位になろうと、それと比較するのは「相対軸」でしかない。「絶対軸」で見れば、角田は自分自身が置かれた試練だらけの状況のなかで最大限の仕事をした、という最高の評価になる。
9位という何でもない順位にも、「込み上げるものがあった」と角田は語った。それだけ長く暗いトンネルを抜け、ようやく見えた光明だった。
3位表彰台という眩しさと比べる必要などなく、その光は角田にとって、このうえなく価値ある輝きを放っている。
著者プロフィール
米家峰起 (よねや・みねおき)
F1解説者。 1981年1月31日生まれ、兵庫県出身。F1雑誌の編集者からフリーランスとなり2009年にF1全戦取材を開始、F1取材歴14年。各種媒体に執筆、フジテレビNEXTやYouTube『F1LIFE channel』での解説を務める。
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