2020.06.10

母は女優。1992年F1で走った美貌の女性ドライバーの劇的な人生

  • 川原田剛●文 text by Kawarada Tsuyoshi
  • 桜井淳雄●撮影 photo by Sakurai Atsuo(BOOZY.CO), Sauber Racing, Williams, W Series

 彼女のデビュー戦となった1992年シーズンの開幕戦、南アフリカGPは大いに盛り上がった。

 しかしセッションが始まると、アマティへの期待は急速にしぼんだ。彼女は予選でポールポジションを獲得したナイジェル・マンセルより約9秒も遅く、チームメイトに対しても約4秒遅れ、決勝に進出できなかった。

 続くメキシコ、ブラジルも同様のパフォーマンスしかできず、アマティは後にF1チャンピオンになるデイモン・ヒルにシートを明け渡す。

 F1を離れた後のアマティは、ポルシェやフェラーリのワンメイクレースやスポーツカーの耐久レースに活動の場を移した。99年には現在のFIA世界耐久選手権の流れをくむスポーツレーシング・ワールドカップのSR2クラス選手権でランキング3位の成績を残した。

 アマティは18歳の時に、武装集団による身代金目的の誘拐事件に遭い、2カ月以上も監禁された後、両親が約100万ドルを支払って解放されたという過去がある。「この経験が私を強くした」と本人は語っているが、かつて完全な男社会だったレース界で彼女がF1までたどりついた強さの理由のひとつかもしれない。