富士スピードウェイ50周年に、幻のF1マシンが時空を超えて現れた (2ページ目)

  • 川喜田研●取材・文 text by Kawakita Ken
  • 村上庄吾●撮影 photo by Murakami Shogo

 三重県の鈴鹿サーキット(1962年開業)に続く、日本で2つ目の国際規格サーキットとして富士スピードウェイがオープンしたのは1966年1月のことだった。当初はアメリカのインディカーやストックカーレースで使われる「オーバルコース」(シンプルな楕円型のサーキット)の建設が構想されていたが、途中からヨーロッパ型のロードコースに計画が変更される。そのため開業当時はオーバルコース構想の名残のような全長1.5kmの長いホームストレートと、超高速の30度バンク(最大斜度30度に傾斜したすり鉢状のカーブ)を備える、世界屈指のユニークな高速コースレイアウトのサーキットとして注目された。

マクラーレンM23。1976年の富士でジェームス・ハントが3位に入り、 わずか1ポイント差の劇的な逆転で年間チャンピオンを決めたマクラーレンM23。1976年の富士でジェームス・ハントが3位に入り、 わずか1ポイント差の劇的な逆転で年間チャンピオンを決めた

 その30度バンクが1974年に廃止され、その後の数回にわたるレイアウト変更を経て、2005年には新時代の国際サーキットに生まれ変わるべく全面的な改修を実施して現在に至っている。しかし、時代は変わっても富士のトレードマークであるロングストレートは今なお健在で、何より霊峰・富士を背景にした圧倒的なロケーションが「富士スピードウェイ」のアイデンティティを力強く主張する。

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