ハミルトンの策謀にも慌てず騒がず。ロズベルグが初のF1世界王者に (3ページ目)

  • 米家峰起●取材・文 text by Yoneya Mineoki

「それが、僕自身が見つけ出した僕のアプローチの仕方だったんだ。何がいいかは人それぞれ違うだろうけど、僕にとってはそれがベストだと感じられたし、集中するための方法はかなり懸命に学んだ。間違いなく、精神面の強さというものが重要な要素だった」

 パドックでは、ロズベルグに対して厳しい見方をする者が少なくなかった。いや、心の底では「ハミルトンのほうが速いはず」と思っている者が大多数だと言い切っても過言ではないだろう。

 開幕4連勝は、ハミルトンが見舞われた2度のパワーユニットトラブルとスタート失敗によるものだった。スペインGP(第5戦)ではスタートでボタン操作を誤り、攻めてくるハミルトンに対して防御しようとしたところで同士討ちとなってしまった。モナコ(第6戦)でもウエットコンディションでタイヤを機能させられず完敗を喫し、続くカナダ(第7戦)では1コーナーの争いでハミルトンに押し出される格好になった。

 ハミルトンが予選でクラッシュし、決勝でパワーユニットのトラブルに見舞われたバクー(第8戦・ヨーロッパGP)では、ロズベルグのひとり旅となったが、その次のオーストリア(第9戦)では最終ラップに攻めてきたハミルトンに対するディフェンスで接触し、優勝を奪われた。ハミルトンの母国イギリス(第10戦)でも、自身が認める完敗だった。

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