2014.05.09

【F1】今宮純が想う「セナがすべての者に託した遺言」

  • 川喜田研●構成・文 text by Kawakita Ken 喜 安●写真 photo by Kiyasu, AFLO

 ベッテルやアロンソやハミルトンが、セナと比べて、「個性がない」と言っているわけではない。だが、よりエンジニアリングの比重が高まった現代のF1では、マシン&パワーユニットの性能がレースを支配する部分が大きくなり、セナがいた時代と比べると、どうしてもドライバーの「表現領域」が狭まっている事実は否定できない。

 エネルギー回生システムなどを取り入れた複雑な未来志向パワーユニットや、タイヤ交換を含めた緻密なレース戦略など、多くの専門用語や入り組んだルールを解説していると、ときにコース上のプレイから離れて仕組みを「通訳」しなければならない場面がある。予備知識なくテレビを見た人たちが分からなくなるのを避けるため、レースはスポーツ中継というよりも、「F1講座番組」へと流れがちになるのだ。世界各国のテレビコメンテーターやジャーナリストは、最近のこの傾向について頭を悩ませている。コース上で素晴らしいオーバーテイクシーンが展開されても、複雑な仕組みを理解しないと、ドライバーの表現力や個性・魅力が見えにくくなるからだ。

 F1に限らずプロスポーツの世界では、インターネットなどによって情報が多様化し、その量は爆発的に増えた。それは、いいことだと思う。だがその反面、社会全体が昔のように、「大きなストーリーをみんなで共有する」という時代ではなくなりつつある。情報に対する価値観の違いや温度差は、セナがいた1990年代とは大きく異なってきている。

 たしかに、今でもスタードライバーは存在する。1990年代にはF1テレビ中継すらなかったスペインでは、アロンソひとりの出現によって状況は一変した。「おばちゃんまでがアロンソのタイヤチョイスに一喜一憂する」と聞いたことがある。また、イギリスではポップスター然としたハミルトンの女子ファンが急増し、中国はひとりもドライバーを輩出していないものの、北欧のライコネン人気が凄まじい。それぞれの国で、彼らはヒーローとして人気を集めている。

 日本はどうだろう。セナやホンダに「日の丸」を重ねて熱い声援を送っていた1990年代前半のように、今もそのような存在が勝ったり負けたりするレースを見せてくれたら......。そして日本人ドライバーがチャンピオン争いを繰り広げるようになれば、日本もスペインのように状況が一変するに違いない。

 最後に、「セナ没後20年」を語る上で、忘れてはならないことがある。それは、セナがF1界に携わるすべての者に託した、「遺言」だ。あの事故を契機に,F1スポーツの安全性向上の努力は絶え間なく続けられ、1994年5月1日以降、グランプリにおいては今日まで20年間、ドライバー死亡事故は一件もない。これはアイルトン・セナが残した尊い、「遺産」である――。


photo by Kiyasuphoto by Kiyasu profile
今宮純(いまみや・じゅん)
1949年生まれ、神奈川県小田原市出身。大学時代からアルバイトを兼ねて自動車専門誌に記事を寄稿し、大学卒業後、フリーのモータースポーツジャーナリストとして活動を始める。1987年からフジテレビのF1中継で解説者として活躍。

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