ウマ娘でも快走の奇跡の名馬・トウカイテイオー。皇帝と帝王、父子の物語 (3ページ目)

  • 河合力●文 text by Kawai Chikara
  • photo by Kyodo News

 2度目の骨折から復帰したのは、この年の11月。しかし初戦のGⅠ天皇賞・秋では、1番人気ながら7着に敗退。このあたりから「トウカイテイオーは終わったのか」と疑う声も出てくる。

 そもそも、骨折を経験するとパフォーマンスを取り戻せないケースも多い。痛みの記憶が残り、目一杯走らなくなる馬もいると言われるからだ。トウカイテイオーもその不安が現実になる可能性はあった。

 だが、帝王は復活を遂げた。2度目の骨折から復帰して2戦目、1992年11月29日のGⅠジャパンカップ(東京・芝2400m)だった。

 国際招待レースとして、各国の馬が集うジャパンカップ。競馬の母国イギリスのダービー馬が2頭も参戦するなど、ジャパンカップの中でもかつてないメンバーが揃った。トウカイテイオーは、海外の強豪に次ぐ5番人気。前走の敗戦を見ると仕方がないだろう。スタート直前、「去年のダービーを思い出して欲しい」という実況の声が聞こえた。

 そしてこの舞台で、"帝王"はその走りを思い出したのである。中団から外を上がると直線では外国馬のナチュラリズムとの壮絶な叩き合いに。最後はクビ差でライバルを押さえ込んだ。この勝利は、父ルドルフとの「父子制覇」でもあった。

 2度の骨折を乗り越えてのGⅠ勝利。それでも十分だが、まだこの馬の苦難は終わらない。ジャパンカップの後に出た年末のGⅠ有馬記念(中山・芝2500m)で11着に敗れると、その際に腰を痛め休養。そして夏には、左前脚を骨折してしまう。

 致命的とも言える3度目の骨折。テイオーが次に競馬場に姿を見せたのは、1993年の有馬記念。そう、丸1年間の休養を強いられたのである。

 繰り返すが、競走馬の骨折は致命的であり、3度も骨折した馬が復活したケースはほとんど聞かない。しかも骨折はすべて違う脚。そんな馬が1年ぶりのレースに挑み、しかも舞台はスターホースが集う有馬記念。いくら二冠馬でも、ここで勝つのは奇跡に近かった。

 ただ、そんな奇跡が起きるからこそ、人は競馬に魅せられる。ゲートが開くと同時にすばらしいダッシュを見せたテイオーは、1年ぶりとは思えない集中力、前進気勢で進む。そして4コーナーの勝負どころ、1番人気のビワハヤヒデが先頭に立つと、その後ろを追いかけ、ついに直線で外から並びかけた。多くのファンが「まさかそんなことが......」と思い始めたのがこのあたり。テイオーは力強く伸びて、ゴール前でビワハヤヒデをかわした。

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