ウマ娘の人気キャラで振り返るジャパンカップの名勝負。世界レベルのマッチレースに競馬ファンは熱狂した (3ページ目)

  • 河合力●文 text by Kawai Chikara
  • photo by Kyodo News

 そして1989年のジャパンカップ。タマモクロスが引退したこの年は、オグリキャップが度肝を抜く走りを見せた。

 というのも、オグリキャップは1週間前のGⅠマイルCS(京都・芝1600m)を勝ったばかり。それもバンブーメモリーとデッドヒートを繰り広げるという過酷なものだった。

 競馬ではレース間隔を2〜3週間取るのが一般的。2週連続で出走することを「連闘」というが、GⅠの連闘など前代未聞だった。

 しかし、オグリキャップはとてつもない走りを披露した。道中4番手から直線に入ると、ニュージーランドのホーリックスと一騎打ちに。2週連続のGⅠデッドヒートは、クビ差でホーリックスに軍配が上がった。それでも、ファンにとってはオグリキャップのすごさが際立っただろう。

 何より驚くべきは走破タイム。ホーリックスとオグリキャップが叩き出した2分22秒2は、当時の世界レコードだったのである。負けてなおこれほど伝説を残すのは、やはりオグリキャップの持つスター性かもしれない。

 ジャパンCも創設から10年をすぎると、日本馬と外国馬が互角に渡り合うケースも増えてきた。そんな時代は、レースを制した日本馬に一層スポットが当たりがちだが、負けた中にも思い出深い馬が多数いる。

 たとえば1995年、2着に敗れたヒシアマゾンだ。ウマ娘では「女傑」とよばれ、後方からの追い込みを得意とする彼女。現役時代のヒシアマゾンもまさにそのままで、牡馬と牝馬の力量差が大きかった当時、牡馬に混じって互角のレースを見せた。

 そんな勇ましい彼女が本領発揮したのもこのレースだった。同い年であり、1番人気に推された「シャドーロールの怪物」ナリタブライアンが直線で伸び悩む中、後方から猛然と追い込み、ドイツダービーをはじめ海外GⅠ6勝の実績を誇るランドに襲いかかる。最後は1馬身半及ばなかったが、女傑の猛々しさを見せたレースだった。

 女傑だけではない。「女帝」も、この舞台で意地を見せた。1997年に2着となったエアグルーヴである。

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