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ウマ娘の人気キャラで振り返るジャパンカップの名勝負。世界レベルのマッチレースに競馬ファンは熱狂した (2ページ目)

  • 河合力●文 text by Kawai Chikara
  • photo by Kyodo News

 成績も、稲妻のようだった。デビューからしばらくはくすぶっていたが、4歳秋(現3歳。以下旧齢表記で統一)から1年にわたり怒涛の8連勝を飾ったのだ。条件クラスにいた馬が、1年後にはGⅠを立て続けに3つ制していた。しかも、当時圧倒的な強さを誇っていた年下のオグリキャップを下してである。

そんなタマモクロスが世界を迎え撃ったのが、1988年ジャパンカップ。その年の凱旋門賞馬トニービンを抑えての1番人気だった。

 レースでは後方から3〜4コーナーでポジションを上げたタマモクロス。父譲りの白い馬体が直線半ばで先頭に立つ。トニービンは伸びない(※後にレース中の故障が判明)。外から迫るオグリキャップも抑え込む。まさに横綱相撲だった。

 しかし内から一頭、この白い馬体に並びかけた馬がいた。アメリカのペイザバトラーだ。豪快なジョッキーのアクションに応えて、タマモクロスに競り勝ったのだった。

 タマモクロスは他馬に並ばれると闘志をむき出しにするタイプだったが、このレースでは、終始ペイザバトラーがタマモクロスから離れた進路を選択した。相手もタマモクロスの性格を熟知していたのである。悔しい結果だったが、日本のエースとして確固たる力を見せてくれた。

 その翌年、今度はタマモクロスのライバルであるオグリキャップがこの舞台で躍動した。オグリキャップはご存知の通り、前年に地方競馬から中央へ殴り込み快進撃を見せた馬。タマモクロスとも激闘を繰り広げ、このライバル関係もウマ娘に反映されている。

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