小倉記念で思い出す、「善戦マン」ナイスネイチャが輝いていたあの夏 (3ページ目)

  • 新山藍朗●文 text by Niiyama Airo
  • 日刊スポーツ/アフロ●写真 photo by Nikkan sports/AFLO

 この時期、4歳馬と古馬が混じっての一戦、それも重賞となれば、4歳馬がまだ成長途上な分、どちらかと言えば古馬のほうに分がある。

 まして、ナイスネイチャは初の重賞挑戦。さらにこのレースには、ヌエボトウショウやイクノディクタスなど、牝馬ながらも重賞勝ちがあって、GIでも好走するような骨っぽいメンバーがそろっていた。

 しかし、そうした状況にあっても、ナイスネイチャは圧倒的な1番人気に支持された。そして、その人気に見事応えた。

 レースでは道中、4番手あたりを追走。4コーナー付近で、他の有力馬が一気に仕掛けると、それを待っていたかのように、外からかぶせ気味にスパートした。

 そこからが、またすごかった。

 古馬の一線級を相手に、1頭だけ「格が違うよ」と言わんばかりの末脚を炸裂させた。あっさり先頭に立って、そのまま後続を突き放していったのだ。

 終わってみれば、2着のヌエボトウショウに2馬身差をつける完勝。当時を知るファンがこう証言する。

「このときのナイスネイチャのパフォーマンスは、生涯最高と言っていい。強かった。本当に強かった。この先、どこまで強くなるんだろうって思いましたよ」

 ナイスネイチャはその後、当時菊花賞トライアルだったGII京都新聞杯(京都・芝2200m)をも制して4連勝を飾った。その勢いを買われて、GI菊花賞(京都・芝3000m)では2番人気に推されたが、4着に敗れた。続くGII鳴尾記念(阪神・芝2500m)で再び古馬との勝負に快勝すると、前述のダイユウサクが勝った有馬記念に挑んだ。

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