小倉記念で思い出す、「善戦マン」ナイスネイチャが輝いていたあの夏 (2ページ目)
力がないわけではない。だが、なぜか"ここ"という勝負どころでは、見ている側がじれったくなるような、ジリ脚しか使えない。
それでも、ナイスネイチャはいつも一生懸命走っていた。自らの力を常に出し切っていた。
ゆえに、多くのファンが共感を覚えた。
「ナイスネイチャのようなヤツ」という例えも、相手をバカにしたり、見下したりするときではなく、多少の不満や物足りなさはあっても、「憎めないヤツなんだよ」と、むしろ、ある種の愛情が込められた意味合いで使われていた。
そんなナイスネイチャにも、「未来の大器」と注目された短い夏があった。
1991年のことだ。
もともと脚元に弱いところがあったナイスネイチャは、この年、4歳(当時。現3歳)のクラシックを目前にして骨膜炎を発症。およそ5カ月半の休養を余儀なくされた。
その結果、春のクラシックは棒に振ったが、この休養によって、馬としては見違えるほどよくなっていた。
復帰初戦は2着だったが、その後は500万下、900万下(現1000万下)を連勝し、次に駒を進めたのがGIII小倉記念(小倉・芝2000m)だった。
今週末、小倉競馬場では第53回小倉記念(8月6日)が開催されるが、26年前の同じ舞台にナイスネイチャも挑んでいた。
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