【競馬】外国人ホースマンが試みた『ピンフッキング』という異色ビジネス

  • 河合力●文 text&photo by Kawai Chikara

パカパカファーム開場までの間に、日本で手掛けた競馬ビジネスについて語るスウィーニィ氏。パカパカファーム開場までの間に、日本で手掛けた競馬ビジネスについて語るスウィーニィ氏。『パカパカファーム』成功の舞台裏
連載●第8回

ダービー馬ディープブリランテを輩出した『パカパカファーム』(北海道新冠町)の成功の秘密を探っていく好評連載。前回は、同牧場のオーナーであるアイルランド人のハリー・スウィーニィ氏が、『待兼牧場』を辞めたあと、パカパカファーム開場までの間に手掛けた新たな競馬ビジネス(繁殖牝馬の輸出)について紹介した。そして今回も、その間にスウィーニィ氏が試みた、日本では馴染みのない"ビジネス"にスポットを当てる。

 1998年に『待兼牧場』(北海道日高町)の全権総支配人を退いたハリー・スウィーニィ氏(現パカパカファーム代表)は、その後、フリーのトレーダー(競走馬の売り買い人)として奔走。日本より欧州で需要が高い、種牡馬ダンシングブレーヴの血を引く繁殖牝馬や、アメリカから大きな期待を持って輸入されたものの、活躍する子どもを残せずにいた繁殖牝馬メイプルジンスキーなどの、海外輸出を手掛けていた。

 この時期、スウィーニィ氏が行なっていたことは、それだけにとどまらない。もうひとつ、デビュー前の仔馬に関するビジネスも進めていた。

「日本に来た私にとって最も幸運だったのは、『大樹ファーム』(北海道大樹町)で生産からセリ市への上場、『待兼牧場』で馴致(じゅんち:仔馬を人や馬具に慣れさせたり、ルールや指示を教え込んだりする)から育成(デビュー前の馬をトレーニングして基礎体力をつける)を担当できたこと。つまり私は、獣医師という身でありながら、サラブレッドが生まれてからデビューするまでの過程のほとんどを日本で学ぶことができたのです。ならば、この幸運を生かさない手はありません。そこで思い当たったのが、『ピンフッキング』という仔馬のビジネスでした」

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