【競馬】パカパカファーム物語。アイルランド人が日本の牧場経営に挑戦したワケ (3ページ目)

  • 河合力●文 text&photo by Kawai Chikara

 さらに特筆すべきは、そのような経緯で誕生したパカパカファームが、開場からわずか11年で日本ダービー馬を輩出したことにある。パカパカファームで毎年生産されるサラブレッドの頭数は20頭前後。毎年100頭以上を生産する大牧場が何十年かけても手に入れられないタイトルを、中小規模と言えるパカパカファームが11年でつかんだことは、まさに快挙といっていい。

 それだけではない。今、日本の競走馬生産市場は、繁栄を続ける『社台グループ』の独り勝ち状態。日本ダービーの勝ち馬は、2009~2011年まで3年連続で社台グループの生産馬であり、今年も1着こそ譲ったものの、2~4着までは社台グループ生産馬が独占。長年にわたり日本競馬を支えてきた『メジロ牧場』や『カントリー牧場』などの大規模牧場でさえも相次いで事業撤退を表明するなど、中小規模の牧場にとっては本当に厳しい戦いが続いている。

 その中で成長を続け、異例の早さでダービー馬を生み出したパカパカファームは、希望の星と言っても過言ではない。

「私たちのような小さな牧場は、もちろん資金力で勝負することはできません。だからこそ、日々の馬のチェックや牧場のブランディング、独自の飼い葉(馬の飼料)の開発など、さまざまな面で工夫を重ねてきたんです」

 その細かな工夫が、11年間の成長を担い、ディープブリランテという日本ダービー馬を輩出したことは間違いない。さらなるパカパカファームの躍進に期待がかかるが、それにしてもなぜ、スウィーニ氏は競馬先進国でもあるアイルランドから、はるか遠い日本へ来る道を選んだのか。次回は、スウィーニィ氏のその決断に迫る。
(つづく)

  ハリー・スウィーニィ
1961年、アイルランド生まれ。獣医師としてヨーロッパの牧場や厩舎で働くと、1990年に来日。『大樹ファーム』の場長を務める。その後、2001年に『パカパカファーム』を設立。2012年には生産馬のディープブリランテが日本ダービーを制した。


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