【木村和久連載】 予約で裏技も横行。20世紀後半の「ゴルフ狂想曲」 (3ページ目)
おかげで、夏場にゴルフ場から帰るときは、海水浴客の帰りとぶつかって、国道16号線から大渋滞。コースから浜野ICに着くまで、2時間ほどかかりました。
さらに、そんな一般道の渋滞を延々と走り終えて、やっと京葉道路に乗ったと思ったら、今度はそこから錦糸町まで、また渋滞。千葉から世田谷に帰るのに、なんで5時間もかかるんや! そういう散々な日が結構ありました。
ゴルフブームは、タイガー・ウッズ登場前の1990年あたりがピークでしたか。当時は、需要と供給のバランスがまったく取れていませんでした。
関東のほとんどのコースでは、予約開始2カ月前の朝8時から電話が鳴りまくり。わずか5~6分で、ラウンド予約が埋まってしまうほど。今では考えられないかもしれませんが、マジでこういう現象が起きていたのです。だから、コネを使いまくって、ラウンド予約を取る人がたくさんいました。
予約の世界では、ゴルフ場で一番偉いのは、支配人ではなくて、キャディーマスターでした。だって、予約表を作るのは、キャディーマスターですから。それで、キャディーマスターなら、「どこかに1組、無理やり入れてよぉ~」といったリクエストにも応じられたのです。
その次に偉かったのは、ベテランキャディーさん。キャディーマスターとキャディーは、現場ラインでつながっているわけです。だから当時は、「なかなか予約が取れなくて......」と言えば、「直接、私に電話をくれない。そうしたら、なんとかするから」といった按配で、客とキャディーとの間で予約を取る"裏技"が横行していました。
バブル前後のゴルフ人気は凄まじいものがあったようですね...
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