【木村和久連載】 予約で裏技も横行。20世紀後半の「ゴルフ狂想曲」 (2ページ目)

  • 木村和久●文 text by Kimura Kazuhisa
  • 服部元信●イラスト illustration by Hattori Motonobu

 そもそも、いろいろと試打して買ったけど、ハズレだったという場合が結構あるのです。試打では調子がいいけど、本番に弱いクラブって存在しますしね。厳密に言うと、本番に弱いのはアマチュアゴルファーですが......。

 以前、"練習シングル"というテーマを取り上げましたが、"試打シングル"も存在するのです。ちなみに、私は「試打芸人」と言われ、ゴルフメディアなどで試打によるラウンド撮影が行なわれる日は、必ずいい成績を残すので重宝されています。これ、ほんまですぜ~。

 とにかく、月イチ・ゴルファーがニュークラブを買って失敗することは、ままあります。だったら、飛ばなくても真っ直ぐ飛ぶ「今のクラブのままでいい」と思うのは、頷けます。つまり、浮気の代償は高くつく恐れがある、そういうことですね。

 さて、ラウンドにおいては、当時は乗用カートが出始めの頃。乗用カートを使用すると、別料金を取られる時代でした。だから、歩きでのラウンドがほとんどでしたね。

 しかも、当時のゴルフシューズはスパイクが全盛。スパイクシューズって、底が硬くて、ラウンド後にはよく足に豆ができたものです。『フットジョイ』のスパイクレスシューズが出始めたのもその頃で、それに替えてからは、ようやく歩きやすくなりました。

 あと、当時はコースへの行き帰り、車の運転がしんどかったですね。行きはまだしも、帰りの渋滞が激しくて、ラウンド疲れも重なり、常に睡魔との闘いでした。

 当時の高速道路は、今の半分ぐらいしか開通していません。栃木県や茨城県の奥のほうに行ったら、帰りは夜中でしたよ。

 以前、千葉県の南総カントリークラブ(※最寄りのICは館山自動車道の姉崎袖ヶ浦)のメンバーでしたが、当時はまだ高速道路の館山自動車道が開通しておらず、京葉道路の浜野IC(※蘇我ICを少し過ぎたあたり)までしかありませんでした。インターを降りてからは、国道16号線をずっと下っていきます。

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