【木村和久連載】元首相・田中角栄生誕100年に想う、我がゴルフ人生 (2ページ目)

  • 木村和久●文 text by Kimura Kazuhisa
  • 服部元信●イラスト illustration by Hattori Motonobu

 通常、首相がひとりでラウンドするって、ありえないでしょ。でも、それをさせたんですからね。もちろん、白洲氏をはじめ、コース側の誰かとはラウンドしていますけど。

 アットホームな点では、汗っかきの田中角栄氏は常に手ぬぐいを持ってのラウンドだったそうですが、それはプライベートなコースなので、黙認していたようです。

 しかし、どうしても受け入れられなかったのが、ビジターを連れてのラウンドでした。

 例のごとく、田中角栄氏はどこぞの大使を連れてきて、「プレーさせてくれ」と倶楽部にやってきました。

 そうしたら、白洲氏は「今日は日曜日で、メンバーデーです。角さんはプレーしても構いませんが、ゲストのプレーは受け入れられません」と、ゲストの入場を突っぱねたというではないですか。時の総理大臣が連れてきたゲストですからね、その対応にはびっくり仰天です。

 慌てた田中角栄氏は、すごすごと引き返して、近くのコースに会場を変えたそうです。

 いやはや、白洲氏はさすが「吉田茂の懐刀」と言われた男ですよね。サンフランシスコ平和条約の締結の際には、吉田茂首相が英語でスピーチしようとしたら、「敗戦国根性が抜け切れていない。日本は独立国なのだから、母国語でスピーチしなさい」と叱り飛ばしたそうですよ。それまた、恐れ入ります。

 結果、トイレットペーパーのような巻物に日本語が延々と書かれて、吉田茂首相はそれを持ってスピーチする事態に......。アメリカ・サンフランシスコでのことですからね、吉田茂首相のスピーチは当然、その場では誰も理解できなかったようですけど。

 白洲次郎氏は、只者じゃないです。今でも、生前に住んでいた『武相荘(ぶあいそう)』は公開されていますから、興味のある方は一度行かれてみてはどうでしょう。

 大きな農家の家を丸ごと改築してあって、面白いですよ。書斎なんか、生前のままの蔵書となっていますからね。

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