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【欧州サッカー】デル・ピエロは降格するユベントスを見捨てなかった ファーガソンの誘いにも「申し訳ありません」 (3ページ目)

  • 粕谷秀樹●取材・文 text by Kasuya Hideki

【インザーギとの最強2トップ】

 ユベントスでの輝かしい活躍ぶりに、デル・ピエロに関する言葉も次々と生まれた。

 ペナルティエリアの左斜め45度のハーフスペースから、右足でファーポストを巻くようにしてゴールを決めるのを得意とし、そのポジションは「デル・ピエロ・ゾーン」と言われた。厳しいマークにあいながら美しい弧を描き、GKの手が届かないところ運ばれる一撃は、高等技術の成せる業(わざ)だった。

 フィリッポ・インザーギ(愛称ピッポ)との2トップは、メディアによって「デル・ピッポ」と名づけられ、各国で活躍するディフェンダーたちの厄介事になった。両者が織りなす阿吽(あうん)の呼吸は、マーカーの二手、三手を見透かしたかのように翻弄する様は狡猾だった。

 2001-02シーズンからの5年間でセリエAの優勝4回。デル・ピエロとユベントスは我が世の春を謳歌する。

 だが、順風満帆だったキャリアは、突如として影を宿した。2006年5月に発覚した審判買収スキャンダル──いわゆる「カルチョポリ」である。不正の主犯格とされたユベントスは2004-05シーズンから2年間のリーグタイトルを剥奪されたうえ、セリエB降格という厳しい処分を受けることになった。

 ファビオ・カンナヴァーロはレアル・マドリードに、ズラタン・イブラヒモヴィッチはインテルに、リリアン・テュラムがバルセロナに新天地を求めたのは当然だ。セリエBでモチベーションを維持するのは難しい。

 だが、デル・ピエロはキャプテンとして残留を公言。ジャンルイジ・ブッフォンとパベル・ネドベドもそれに続いた。勇気のある決断と言えるだろう。ましてやデル・ピエロは、マンチェスター・ユナイテッドのアレックス・ファーガソン監督からオファーが届いていたのだ。

「ユベントスに厳しい処分が下された時、直接デル・ピエロを口説きに行ったんだ。セリエBじゃ戦いたくないだろうからね。ところが彼は、『お気持ちには感謝しますが、ユベントスを離れるわけにはいかないんです。申し訳ありません』と断ってきた。これがクラブに対する忠誠なんだ。デル・ピエロという人間は尊敬に値する」

 近年になって、サー・アレックスはデル・ピエロとの交渉内容を明らかにした。ユベントスはデル・ピエロの「漢気(おとこぎ)」に救われたといって差し支えない。

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