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ジュゼッペ・シニョーリは右足を使わないファンタジスタ セリエAで3度の得点王に輝いたレフティモンスター (3ページ目)

  • 粕谷秀樹●取材・文 text by Kasuya Hideki

【イタリア代表ではわずか7ゴール】

 ただ残念ながら、イタリア代表ではほとんど輝けなかった。ロベルト・バッジョやジャンフランコ・ゾラと同世代だったこと、1990年代のイタリア代表を率いたアリゴ・サッキ監督がファンタジスタを好まなかったことが、シニョーリの行く手を阻んだ。

 1994年アメリカワールドカップでは準々決勝のスペイン戦でアシストを記録しながら、「サイドではプレーしたくない」とサッキの起用法を拒否。シニョーリは構想外になった。セリエAで188ゴールを決めた名手が、イタリア代表では28試合でわずか7ゴールに終わっている。

 ミランの監督を務めていた当時から、サッキは個よりも組織を重視していた。あのファン・バステンですらお気に召さなかった。一瞬の閃(ひらめ)きで試合の流れを一変させるタイプではなく、組織に殉ずるハードワーカーに重きを置いていた。「勝利のために芸術性が重要だとは思えない」とも語っていた。いわゆる現実主義者だ。

 アスリート色が濃くなった近代フットボールではなおさらだ。10番タイプは絶滅危惧種とさえ言われている。選手生活が危ぶまれるほどの過密日程となった近年では、簡単に壊れない頑健な肉体が必要であり、芸術性は二の次ということか。

 だが、ファンタジスタ復興を期待する声は少なくない。ミシェル・プラティニやディエゴ・マラドーナの流れを汲むバッジョやゾラのプレーはいつまでも美しく、そしてシニョーリの左足は魅力満載だった。彼らのようなタイプを生かす術(すべ)はどこかにあるはずだ。

 現役引退後、シニョーリは、イタリア下部リーグの八百長に関与した疑いをかけられたものの、2021年4月に疑惑が晴れて現在は静かな毎日を過ごしている。パワーとスピード、タフネスを全面に押し出す近代フットボールを、炎天下に公式戦を強いる現状を、シニョーリはどのように思っているのだろうか。

 エリクソンやサッキにも意見した男だ。素直、かつ辛辣(しんらつ)な感想を聞いてみたい。

著者プロフィール

  • 粕谷秀樹

    粕谷秀樹 (かすや・ひでき)

    1958年、東京・下北沢生まれ。出版社勤務を経て、2001年、フリーランスに転身。プレミアリーグ、チャンピオンズリーグ、海外サッカー情報番組のコメンテイターを務めるとともに、コラム、エッセイも執筆。著書に『プレミアリーグ観戦レシピ』(東邦出版)、責任編集では「サッカーのある街」(ベースボールマガジン社)など多数。

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