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チャンピオンズリーグ決勝を戦うインテルのサネッティ副会長 クラブW杯で対戦する浦和と元同僚・長友佑都を語る (3ページ目)

  • セルヒオ・レビンスキー●取材・文 text by Sergio Levinsky
  • 井川洋一●翻訳 translation by Igawa Yoichi

【長くプレーできたのは自律と鍛錬の賜物】

――あなたは10代でプロになり、40歳までプレーしました。フィールドの選手としては、かなり長いキャリアです。トップレベルの現役をこれだけ長く続けられた秘訣を、教えてもらえますか?

「なにより、自律と鍛錬です。私はもともと、物事を継続的に進められるタイプの人間でもあります。ピッチ上で最高のパフォーマンスをするために、生活のすべてを捧げる。トレーニングだけでなく、食生活や睡眠、ジムでの筋力アップを含め、フィジカルを完璧な状態にする。精神面を安定させ、クリアなマインドを保つ。私は幸運にも、少年時代にそうした側面の重要性に気づくことができたのです。トップレベルのフットボーラーになり、その座を維持するのは、すごく難しいことですから」

――あのアキレス腱の断裂以外に、大きなケガはあまりなかった印象です。

「おそらくそれは、私が自分の身体をケアしていたからだと思います。コンスタントにストレッチをし、ジムで補強すべき筋肉を鍛え、よい食事と十分な睡眠を取る。プロフェッショナルとしてやるべきことを、徹底していました。アルゼンチンのバンフィエルドという小さなクラブからキャリアを歩み始め、そこからいきなりインテルに引き抜かれたのですが、そんな移籍は当初、ほとんどありませんでした。それでもうまくやれたのは、自己規律の賜物だと思います」

――インテルへの移籍の背景を教えてもらえますか?

「私は本当に幸運でした。当時のインテルのマッシモ・モラッティ会長がアルゼンチンに視察とスカウトに来ていたのですが、一緒に来ていた彼の息子さんが私のプレーを気に入ってくれたのです。元々のリストには、私の名前は載っていなかったそうですが、すぐに契約書にサインし、数日後にはミラノの本拠地で、ロベルト・カルロスらと一緒に会見に臨んでいました。そこに私のことを知っている人は、ひとりもいませんでしたよ!(笑)」

>>後編「サネッティが語るCL決勝の見通し」

ハビエル・サネッティ 
Javier Zanetti/1973年8月10日生まれ。アルゼンチン・ブエノスアイレス出身。タジェレス、バンフィエルドを経て1995年にインテルに移籍。2014年まで19シーズンも在籍しセリエA615試合出場の鉄人。主に右サイドバックや中盤でプレーし、数々のタイトル獲得に貢献した。アルゼンチン代表でも長くプレーし、国際Aマッチ143試合出場。2014年の現役引退後、現在はインテルの副会長を務めている。

セルヒオ・レビンスキー 
Sergio Levinsky/アルゼンチン出身。ブエノスアイレス大学社会科学学部を卒業。バルセロナ大学でスポーツ社会学の博士号も取得。1982年より記者として活動を始め、ワールドカップは1986年メキシコW杯よりすべての大会を取材。アルゼンチン国内の各種メディアで活動するほか、ヨーロッパのスポーツメディアや日本のメディアにも記事を寄稿している。

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著者プロフィール

  • 井川洋一

    井川洋一 (いがわ・よういち)

    スポーツライター、編集者、翻訳者、コーディネーター。学生時代にニューヨークで写真を学び、現地の情報誌でキャリアを歩み始める。帰国後、『サッカーダイジェスト』で記者兼編集者を務める間に英『PA Sport』通信から誘われ、香港へ転職。『UEFA.com日本語版』の編集責任者を7年間務めた。欧州や南米、アフリカなど世界中に幅広いネットワークを持ち、現在は様々なメディアに寄稿する。1978年、福岡県生まれ。

【画像・布陣】インテル、パリ・サンジェルマンの今季主要フォーメーション

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