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マルコ・ファン・バステンが30歳で引退していなければ...「バロンドール受賞が3回だけってことはない」

  • 粕谷秀樹●取材・文 text by Kasuya Hideki

世界に魔法をかけたフットボール・ヒーローズ
【第4回】マルコ・ファン・バステン(オランダ)

 サッカーシーンには突如として、たったひとつのプレーでファンの心を鷲掴みにする選手が現れる。選ばれし者にしかできない「魔法をかけた」瞬間だ。世界を魅了した古今東西のフットボール・ヒーローたちを、『ワールドサッカーダイジェスト』初代編集長の粕谷秀樹氏が紹介する。

 第4回のヒーローはオランダトリオのひとり、マルコ・ファン・バステン。彼の強烈なシュートを目の当たりにして、1980年代を知るオールドファンで衝撃を受けなかった人はいないのではないだろうか。

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マルコ・ファン・バステン/1964年10月31日、オランダ・ユトレヒト生まれ photo by Getty Imagesマルコ・ファン・バステン/1964年10月31日、オランダ・ユトレヒト生まれ photo by Getty Images 左サイドからのクロスが流れていった。直接ゴールを狙うには角度がない。コントロールしてから次の展開を考えるか、丁寧なパスで味方に託すか......。しかし、痩身のストライカーは右足を振り抜いた。

 マルコ・ファン・バステンの一撃は、1988年ヨーロッパ選手権屈指のゴールだった。

 理論上ではありえない。ペナルティボックス内とはいえ、オランダ代表のエースがシュートを放ったポジションはゴールラインと並行していた。インサイドではゴールから遠ざかり、アウトサイドでは精度がブレる。

 しかも、対するGKは当時世界最高峰と言われていたソ連(現ロシア)のリナト・ダサエフである。生半可な技術が通用する相手ではない。

「何が起きたのか、わからなかった。一瞬、ボールが消えたようにも感じた」

 ダサエフがそう述懐したとおり、彼が反応した時には、すでにファン・バステンの一撃はゴールに突き刺さっていた。非常識な角度と軌道を描いたシュートに、世界中が度肝を抜かれた。

 かのヨハン・クライフでさえ成しえなかった、オランダ代表のヨーロッパ制覇。一躍、ファン・バステンの名前が響き渡った。

 グループリーグでイングランド、準決勝で西ドイツ、決勝でソ連を破り、1988年のヨーロッパチャンピオンになったオランダは、2年後のイタリア・ワールドカップでも優勝候補の一角と目されていた。

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著者プロフィール

  • 粕谷秀樹

    粕谷秀樹 (かすや・ひでき)

    1958年、東京・下北沢生まれ。出版社勤務を経て、2001年、フリーランスに転身。プレミアリーグ、チャンピオンズリーグ、海外サッカー情報番組のコメンテイターを務めるとともに、コラム、エッセイも執筆。著書に『プレミアリーグ観戦レシピ』(東邦出版)、責任編集では「サッカーのある街」(ベースボールマガジン社)など多数。

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