エリック・カントナという「劇薬」に誰もが心酔 実働わずか4年半でトラブルメーカーはマンUの王様となった
世界に魔法をかけたフットボール・ヒーローズ
【第1回】エリック・カントナ(フランス)
サッカーシーンには突如として、たったひとつのプレーでファンの心を鷲掴みにする選手が現れる。選ばれし者にしかできない「魔法をかけた」瞬間だ。世界を魅了した古今東西のフットボール・ヒーローたちを、ワールドサッカーダイジェスト初代編集長の粕谷秀樹氏が紹介する。
記念すべき第1回は、エリック・カントナ。1980年代後半から1990年代前半にかけてフランス代表に君臨した「王様」が我々にどんな魔法をかけたのか、波乱万丈の人生を振り返る。
※ ※ ※ ※ ※
エリック・カントナ/1966年5月24日、フランス・マルセイユ生まれ photo by AFLO 強くて、悪くて、タフネスで、一瞥しただけで周囲を威圧する。
エリック・カントナ、である。
ただ、彼の履歴には、トラブルがついてまわった。
「190cm近い長身でありながら、足もとのボールコントロールが柔軟で、センターフォワードだけではなく、トップ下や右ウイングもハイレベルにこなす逸材」
1987年12月、当時のフランス代表を率いていたアンリ・ミシェル監督は、このようにカントナを高く評価していた。ミシェル・プラティニ、ジャン・ティガナ、アラン・ジレスの世代が第一線を退いたあとのフランスを、彼に託そうとしていた。
ところが翌年9月、カントナはミシェル監督をテレビカメラの前で批判。代表チームから追放された。
その後、プラティニ体制下で呼び戻されたものの、残した記録は45試合20得点。フランス代表におけるデータは芳しくない。
オセールに所属していた1987年にはチームメイトのGKブルーノ・マルティニを殴打し、翌年のナント戦ではアルメニア代表DFミシェル・デル・ザカリアンを危険すぎるタックルで痛めつけ、3カ月の出場処分停止を受けた。
1989年に所属したモンペリエでは同僚のMFジャン=クロード・ルモーの顔面にスパイクを投げつけ、1990年に復帰したマルセイユではシーズン途中で就任したレイモン・ゲタルス監督と不仲に。ニームに移籍した1991年にはレフェリーにボールをぶつけて出場停止処分を言い渡され、フランスサッカー協会の聴聞会に呼び出されることになった。
「バカバカしい。こんな国に未練はない」
カントナはフランスを去り、イングランドに新天地を求めた。
1 / 4
著者プロフィール
粕谷秀樹 (かすや・ひでき)
1958年、東京・下北沢生まれ。出版社勤務を経て、2001年
、フリーランスに転身。プレミアリーグ、チャンピオンズリーグ、 海外サッカー情報番組のコメンテイターを務めるとともに、コラム 、エッセイも執筆。著書に『プレミアリーグ観戦レシピ』(東邦出 版)、責任編集では「サッカーのある街」(ベースボールマガジン 社)など多数。