三笘薫のブライトンを率いる31歳のファビアン・ヒュルツェラー 無名の指揮官はどうしてプレミアリーグへ? (3ページ目)
【シニアレベルの監督歴1年半でプレミアリーグへ】
スイス人の父とドイツ人の母のもと、アメリカはテキサスで生まれ、2歳の時に家族でミュンヘンへ移り、バイエルンのファンになった。11歳でそのバイエルンの下部組織に入団し、エムレ・ジャン(現ボルシア・ドルトムント)やピエール=エミール・ホイビュア(現マルセイユ)らと共にプレー。名将ユップ・ハインケスやエリック・テン・ハフ、メーメット・ショルらの指導も受け、勝者のメンタリティを学んだ。
それでもリザーブチームで燻っていた自身に選手としての特別な才能がないことを悟り、2016年に当時5部のピピンスリードで選手兼監督に転向。ショートパス主体のポゼッションスタイルにこだわっていたが、ある時、それだけでは勝てないことに気づいたという。
「自分はバイエルンの選手だったから、こう考えていたんだ。常に試合の主導権を握り、美しく勝たなければならない、と。でも、それがどこででも通用するわけではないことを学んだ。攻守の最適なバランスが必要だということを」
2020年にザンクト・パウリのアシスタント・コーチに任命され、2022年12月に解任された監督の後任に、ブンデスリーガ2部史上最年少の29歳で指名されると、降格の危機に瀕していたチームに息を吹き込み、翌2023-24シーズンには優勝と昇格を果たした。つまりブライトンはシニアレベルの指導歴を1年半しか持たず、1部リーグ初挑戦となる指揮官を迎えたのだ。多くの強者が跋扈するプレミアリーグという無慈悲な戦場に。
「(23歳の時に指導者への転向を決めた時もそうだったが)何かを決断する時、自分のなかで直感が働くんだ。それはおそらく合理的なものではない。
今夏にブライトンから連絡を受けた時もそうだった。もちろん理性的に考えると、(ザンクト・パウリという)安住の地に残る選択肢もあった。私はそこですばらしい人々に囲まれ、大きなことを達成したのだから。
でも結局のところ、これは私の人生であり、私が決めることだ。このチャレンジに挑まなければならないと感じたんだ」
ユルゲン・クロップやトーマス・トゥヘルといった同胞の先達の影響を強く受け、少しでも話す機会があれば、年長の指導者たちを質問攻めにする。自身に経験が乏しいことを自覚し、誰からも、どんなことからも学ぼうとしているのだ。
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