守田英正が所属するスポルディング・リスボンの本拠地「エスタディオ・ジョゼ・アルヴァラーデ」~欧州スタジアムガイド~ (2ページ目)

  • 斉藤健仁●取材・文 text by Saito Kenji

 そのスポルティングCPの最初のスタジアムは、シティオ・ダス・モウラスと呼ばれる場所にあり、1906年5月8日に初めて使用した。この土地はアルヴァラーデ子爵から寄贈されたもので、ポルトガル・スポルティング・クラブの最初の拠点となった近隣の建物の利用権も含まれていた。
 
 翌年の1907年7月4日には大規模な改修工事が行なわれ、大幅な改善が図られた。ふたつ目のスタジアムには、サッカー場に加えて、陸上トラック、テニスコート2面、更衣室と個人用ロッカー、バスルーム、ゲームルーム、軽食を提供するキッチンが設置された。この施設は当時ポルトガルで最も優れたものだったという。
 
 スポルティングは1917年4月1日、シティオ・ダス・モウラスを離れ、近隣のカンポ・グランデ412番地にスタジアムを移転した。このグラウンドはもともと、現在は消滅したリスボアFCに貸し出されていたもので、建築家アントニオ・ド・コウトの設計により大規模な改修が行なわれた。クラブ創設者のひとり、マリオ・ピスタッキーニが多額の寄付をしたことにより完成したこのスタジアムは、エスタディオ・カンポ・グランデと呼ばれた。このスタジアムで、クラブはリスボン選手権やポルトガル選手権などのトロフィーを手にしていった。
 
 さらに20年の時を経て、スポルティングCPはまた新たなホームに移った。それまで使っていたスタジアムは、国内のライバルのベンフィカが使用することになり、35,000人収容のエスタディオ・ド・ルミアルに移転。このスタジアムはのちに、クラブの創設者アルヴァラーデの名を冠することになる。
 
 この時期から、スポルティングCPはヨーロッパでも強豪の仲間入りを果たしていく。そのため、スタジアムは度々改修を迫られた。1949年、フランス、イタリア、スペイン、ポルトガルのチャンピオンクラブで競われるラテン・カップで準優勝、1950年台には国内で連覇を続けるようになり、クラブの成長に伴い、より新しい施設が必要となった。そこで、現在のスタジアムの場所にエスタディオ・ジョゼ・アルヴァラーデを建設することを決め、1956年6月10日に一般公開された。

 リスボン北部、地下鉄カンポ・グランデ駅近くにあるこのスタジアムの開場式には、当時のポルトガル共和国大統領クラヴェイロ・ロペスも含めて約6万人が集まり、国歌がスタジアムに鳴り響く中、1,500人を超える選手たちがピッチにクラブの頭文字である「SCP」の文字を描いたという。こけら落としの試合には、ブラジルの名門ヴァスコ・ダ・ガマを招待したが2-3で敗れている。
 
 1990年代の終わりには、2004年の欧州選手権のホストスタジアムになるために、現在の新しい近代的なスタジアムの建設を開始。前スタジアムを解体し、隣接地に新しいエスタディオ・ジョゼ・アルヴァラーデが2003年8月6日にオープンした。

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