橋岡大樹が実践する「海外サッカーでの生き方」 モードを切り替え、簡単に謝らず、しっかり言い返す (2ページ目)
【負けたあとも普段と変わらない】
橋岡にはもう一つ、イングランドの選手たちの「自分は自分」という考え方を感じる時がある。
試合に負けたあとの態度だ。
「文化的な違いを感じますね。イングランドの選手は負けたあとも普段と変わらないんですよ。スマホでゲームをしている選手もいるくらいで。悔しいと思っている選手は悔しがるし。チームメイトとはっきりとこのことについて話したことはないですが、僕が見るに『落ち込んで何になるの?』『うまくなるの?』『いつもどおり次に向けて切り替えたらいい』と考えているのだと思います。
逆に日本の時は『悔しがる雰囲気を出さないといけない』という空気の下で、そういう態度を取っていたんだろうなと気づかされました」
橋岡からこういった話を聞きつつ、こちらからも意見をぶつけてみた。
筆者自身も2005-06年シーズンにヨーロッパでのプレー経験がある。ドイツ10部リーグでのものだ。残念ながら下手くそで、4試合だけレギュラーであとはメンバーから外された。
仕方がないから、「ドイツ人・欧州人とは何か」という本を読み漁り、はちゃめちゃな自己主張の渦巻く現地の人間模様を観察していた。
すると、ある答えにたどりついた。
キリスト教文化圏か否か。これがサッカーのピッチ上のありようでも決定的な違いがあるのではないか。
ドイツ中世史が専門の阿部謹也氏の名著に『「世間」とは何か』がある。そこにはこう書かれている。キリスト教ではすべてを超越した神と個人がつながっていると考える。だから個人の尊厳が強い。
多神教と言われる日本や、儒教・仏教文化圏にはない、一神教の「神と個人の関係」がある。
だから欧州の人間同士の関係性はドライで厳しい。多少言い合いがあってもお互い気にしないし、個人が思うことを貫くべきだと考えられている。
橋岡は、筆者が口にした「神とつながっている」「だから他者を気にしない」というくだりで「ああ、確かにそうかも」と反応してきた。
そして、自身の日本時代のある経験も話してくれた。
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