斉藤光毅「パリ五輪で活躍すれば180度、自分の価値が変わる」 今夏の移籍は検討中も「将来はCLで優勝できるチームへ」 (2ページ目)
【テレビで見たU-23「自分だったらこう仕掛ける」】
── 今年の夏は、斉藤選手の世代が臨むパリオリンピックがあります。4月のU-23アジアカップでは大岩ジャパンが優勝し、五輪切符も手にしました。試合をテレビで見ていた感想は?
「自分が出られないので、それこそ、かなりもどかしかったです。もし負けたら、オリンピックに出場できないじゃないですか。それをほかの選手たちに委ねるのはすごくもどかしいし、出られないのは悔しいし、活躍しているのを見ると危機感を感じるし。
ただ、自分には与えられた環境があったので、週末の試合に集中して、そこで結果を残さなきゃいけないっていう感じになりました。気持ちの整理は難しかったですけど、自分のことにフォーカスしました」
圧倒的な存在感で「チームの顔」となった photo by Watanabe Kojiこの記事に関連する写真を見る── 大会に行かなかったのはクラブの意向?
「そうですね。でも、スパルタも大事な時期だったし、プレーオフに行くか行かないかが決まる大事な時期だったので、残ることになりました」
── 斉藤選手が残ったから、プレーオフに進出できたのかもしれません。
「そう思ってもらえたらうれしいですけど。正直どちらも大事だし、どちらかを選べって言われても選べないし、選べる立場でもないので難しかったです」
── オリンピック予選を突破して、代表のチームメイトに連絡をとったりしました?
「いや、連絡できる立場じゃないので。クラブチームに残って試合に出ている僕から『なんで、おめでとう?』って思われるかもしれないじゃないですか.........いや、そんなことないと思いますけど。でも、代表のスタッフからは突破したよって連絡はもらっていたので、それには『おめでとうございます!僕もがんばります!』って返しました」
── どのような思いで試合を見ていたのですか。左サイドに自分が入っていたらどうするか、とか?
「自分だったらこう仕掛けるな、とかはありましたけど、その時の状況や戦術もあるだろうし。自分の考えとは違う状況がいろんな角度で求められているだろうなと思ったし、実際はどういう感じなんだろう、というもどかしさも感じました。危機感もあって本当に難しかったです」
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