シェフチェンコ、アルシャヴィン...名選手を生んできたウクライナとロシア。いつか同じW杯の舞台に立てる日を願う (2ページ目)

  • 中山淳●文 text by Nakayama Atsushi
  • photo by AP/AFLO

記憶に残るディナモ・キエフの活躍

 ロシア代表は、その後もアレクサンドル・モストヴォイやヴァレリー・カルピン(現ロシア代表監督)らを擁してユーロ96の舞台に立ったが、次第にタレントが枯渇。98年W杯とユーロ2000で予選敗退の憂き目に遭い、8年ぶりに出場した2002年W杯でも、ホスト国の日本に敗れてグループリーグ敗退に終わった。

 一方のウクライナでは、ロシアが下降線を辿り始めた90年代後半に入ると、旧ソ連時代に多くの代表選手がプレーしていた名門ディナモ・キエフが、世界的名将ヴァレリー・ロバノフスキー監督のもと、クラブシーンで旋風を巻き起こした。とりわけチャンピオンズリーグの舞台で脚光を浴びたのが、アンドリー・シェフチェンコとセルゲイ・レブロフのアタックコンビだった。

 多くのサッカーファンの記憶に刻まれるのは、1997-98シーズンのグループリーグ第4節だろう。バルセロナの本拠地カンプ・ノウで、シェフチェンコが前半だけでハットトリックを達成し、後半にレブロフがダメ押しゴールを決め、0-4で完勝した伝説の名勝負だ。さらに翌シーズンには準々決勝でレアル・マドリードを撃破し、ベスト4入りを果たしている。

 シェフチェンコもレブロフもまだ当時は20代前半。ディナモ・キエフの躍進がそのまま代表チームの成績に反映されるまでには時間を要し、98年W杯、ユーロ2000、2002年W杯、ユーロ2004と、たて続けに予選敗退。そこで登場したのが、旧ソ連代表のレジェンドのひとりで、現役時代にはバロンドールを受賞したこともあるウクライナの英雄、オレグ・ブロヒン代表監督だった。

 ブロヒン監督は、2006年のドイツW杯で、ウクライナ史上初となる本大会出場に導くと、本大会でもラウンド16でスイスを破ってベスト8に進出。準々決勝ではイタリアの前に涙を呑んだが、29歳になったシェフチェンコと32歳のレブロフがW杯のピッチに立ったことは、ひとつの時代の象徴的出来事として、ウクライナのサッカー史に刻まれている。

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