元オランダ代表の地獄からの生還。YouTuberとなって暴露連発&若手に忠告 (3ページ目)

  • 利根川晶子●文 text by Tonegawa Akiko
  • 山添敏央●写真 photo by Yamazoe Toshio

◆ミラン黄金期を築いたオランダトリオ。その後は3者3様も監督では大成せず>>

「かつては『世界でもルイス・フィーゴの次にすばらしいウイング』とも称されていたのに、自分はその才能を無駄遣いしてしまったのではないかと無性に落ち込む」日々が続いた。それを忘れるために、「コカインをやり、酒を飲み、週に7日、パーティーで騒いだ」。

 のちにファン・デル・メイデは『タイム』誌のインタビューでそう語っている。

「サッカーはもちろん、他の何にも集中できなくなった。乱痴気騒ぎだけが俺の人生だった。自分をコントロールできなくなった人間にとってリバプールは危険な町だった。俺はこの街に殺されると思った」

 ある晩、彼は夜中に目覚め、愕然と悟る

「この町から去らなければならない。もし今、すべてを絶たなければ、生きていくことはできなくなると感じた」

 引退から5年後、ファン・デル・メイデは「BBC」ラジオの生放送で当時をそう振り返っている。代理人に連絡すると、代理人は古巣のアヤックスで練習に参加できるよう取り計らってくれた。

 2010年、ファン・デル・メイデはPSVと契約の一歩前までいったが、話はまとまらず、結局2011年の11月に正式に引退した。まだ32歳になったばかりであった。

 引退後、彼は自分のこれまでの過去を洗いざらい告白した自伝を出版する。書くことですべての悪癖と別れることにしたのだ。やがて再婚し、娘も2人生まれ、平穏を手に入れた。

 いくつかのテレビ番組に出演したのち、自分の才能に気がついたのか、2016年からユーチューバーとなった。「Bij Andy in de auto(アンディと車の中で)」というシリーズが人気で、かつてのコネを利用して、サッカー選手やその他の有名人を助手席に乗せてドライブしながらインタビューをするという内容だった。

 悪童だっただけに、歯に衣着せぬ物言いと過激な発言が大人気で、今では22万7000人のチャンネル登録者がおり、BMWがスポンサーについた。ロメル・ルカク(インテル)がゲストの時には110万回再生、フレンキー・デ・ヨング(バルセロナ)は80万回再生。将来が有望視されているパトリック・クライファートの息子なども出演している。

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