2021.01.15

日本を破ってW杯3位。クロアチアの「黄金世代」は引退後も貢献度大

  • 利根川晶子●文 text by Tonegawa Akiko
  • cooperation by Zdravko Reic

あのスーパースターはいま(3) 

 1998年、フランス。日本代表は史上初めてW杯の舞台に立った。

 しかし、同じグループのクロアチアにとっても、このW杯は特別な大会だった。クロアチアは1991年、激しい戦いを経て旧ユーゴスラビア連邦(マケドニア、セルビア、ボスニア・ヘルツェゴビナ、クロアチア、スロベニア、モンテネグロのからなる連邦国家。1980年代から紛争が続き、1992年に分裂した)から独立。この大会は初めてクロアチア代表として戦うW杯だったのである。赤と白の市松模様のユニホームを着ることに選手もサポーターも、この上ない誇りと感慨を抱いていた。

 独立前、クロアチアの選手はユーゴスラビア代表としてプレーしていた。1987年、ユーゴスラビアはチリで行なわれたワールドユースで優勝を果たしているが、その時の大会MVPのロベルト・プロシネツキをはじめ、メンバーの過半数がクロアチア人だった(クロアチア以外の選手では、プレドラグ・ミヤトビッチらがいた)。その「黄金世代」がクロアチアの名を背負って戦ったのがこの大会だった。

 6月20日、リヨン。グループリーグの第2戦で両者は対戦した。その日は暑く、日本もクロアチアも疲弊し、後半30分を過ぎてもどちらも決定機を欠いていた。しかし日本のほんのわずかなミスをクロアチアは見逃さず、最後はダボル・シューケルが豪快な左足のシュートでゴールを奪った。これが決勝点となり、クロアチアの決勝トーナメント進出が決まった。

フランスW杯で日本代表と対戦、決勝ゴールを決めたダボル・シューケル(クロアチア) photo by Yamazoe Toshio「戦火で傷ついた人々に喜びを与えたい」

 その思いがその後もクロアチアを奮い立たせ、結果的に初出場でW杯3位に輝くことになる。彼らは一躍国の英雄となった。

 そんな彼らはいま、どうしているのだろうか。あの日、フランスの太陽の下で日本と戦ったクロアチア代表の現在を探ってみた。

 日本戦でゴールを決め、計6点を挙げて大会得点王となったシューケル。彼が代表で決めた45ゴールの記録は、いまだ破られていない。