マラドーナが母国で激愛される理由。国民は英雄の死をどう受け止めたか (2ページ目)
それは彼の代名詞でもある、1986年W杯メキシコ大会準々決勝イングランド戦での、ヘディングのふりをして手でシュートを決めた"神の手"と、ハーフライン手前からドリブルで次々と相手をかわして得点した"5人抜き"によるものだ。
メキシコ大会から遡ること4年、アルゼンチンはかねてより領有権を主張していたフォークランド(マルビナス)諸島に海軍を送り武力で占拠した。この島はアルゼンチンのすぐ近くだが、国際的に認められたイギリス領土。時のアルゼンチン政府は鬱積する国民の不満を外に向けるべく、禁じ手を打ったのだ。
アルゼンチン政府は、たとえ占拠しても、イギリスはこれほど遠方まで軍は派遣せず、外交交渉で収まると踏んでいた。しかし当時のイギリス首相、マーガレット・サッチャーは躊躇なく派兵を決断。こうして両国は軍事衝突することになったのだが、旧装備のアルゼンチン軍に対しイギリス軍は近代兵器を豊富に保持していた。軍事力の差は明らかで、アルゼンチンは惨敗を喫した。
その屈辱が醒めやらぬ86年、マラドーナが"神の手"という秘密兵器と"5人抜き"という実力差でイングランドを破り、そのまま優勝へと導いた。これほどアルゼンチン国民を熱狂させることがあるだろうか。
逆にいえば、神の手と5人抜きをドイツやスペイン相手に行なっていたら、マラドーナはここまで国民の支持を得られなかっただろう。憎きイギリス(この場合はイングランド)に痛快な復讐を果たしたことで、サッカーファン以外からも称賛される比類なきヒーローとなったのだ。彼を崇拝する熱狂的ファンは実際にマラドーナ教なるものをつくり、多くの信者も存在している。
これほどのスーパースターの急逝は、アルゼンチン全土に大きなショックを与えている。
ブエノスアイレスのシンボル塔であるオベリスコや主だった建物は、彼への哀悼と偉業を称えるため、空色と白にライトアップされた。また、彼の背番号10番に合わせ、25日午後10時には、在籍したボカ・ジュニオルズ、出身クラブのアルヘンティノス、代表で試合をしたリーベルプレートのスタジアムなどでナイター照明を点灯。SNSでは午後10時にマラドーナへ感謝の拍手を送ろうと呼びかけ、その時間になると街中やマンションのバルコニーから一斉に拍手が沸き起こり、なかなか鳴りやまなかった。
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