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「日本人なんていらない」の概念を覆す。奥寺康彦はブンデスリーガで大活躍 (3ページ目)

  • 篠 幸彦●取材・文 text by Shino Yukihiko
  • photo by Getty Images

――古河電工の人からはどんな反応でした?

「みんなが後押ししてくれました。とくに川淵(三郎/古河電工前監督→日本サッカーリーグ運営委員)さんは絶対に行くべきだと。社長からは『これだけ中心となっている選手を出してもいいのか』と言われたようだけど、『将来を考えたら絶対に選手を海外に出すべきだ』と説得してくれたと聞いています。だから、古河電工のスタッフたちは僕を送り出そうとしてくれました」

――奥様の難しい事情もあったなかで、移籍のいちばんの後押しになったものはなんだったのでしょう?

「やっぱりバイスバイラー監督からの強い要望ですね。本当に必要なんだと言ってくれました。『言葉なんてすぐに覚えられるし、ケルンには大きな大学病院の産婦人科があるから大丈夫だ』と。その上で、『ケルンはお前を必要としている。だから来るべきなんだ』と、そう言ってくれました。それでようやく決心がつきましたね」

<最初はパスが来なかった>

――ケルンへ移籍して最初のシーズンから点を決めるなど活躍されましたが、ブンデスリーガのレベルはどう感じられましたか?

「速さや強さ、正確さは非常にレベルが高かったですね。あとはシステム。オーソドックスではあるけど、各ポジションにしっかりとクオリティのある選手が揃えられて、サイドから丁寧に崩していく形が多かった。だからサイドの攻撃的な選手は重要で、僕みたいな選手が必要とされたのだと思います」

――最初の得点は、ポカール(カップ戦)準々決勝のシュバルツバイス・エッセン戦でした。

「年末の試合で9-0で勝ったんですけど、僕は2ゴール2アシスト。それがケルンに移籍して2カ月経った時くらいでした。相手は2部の格下でしたけど、結果を出せたのは自分にとっては大きかった。あれで周りから少しは認められて、パスも出るようになってきたんですよ。最初は全然出てこなかったから(笑)」

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