大暴れ悪童フットボーラー3人。
本当にあった蛮行・愚行・乱行の数々
悪童フットボーラー伝説(1)
子どもたちに夢や希望を与えるプロサッカー選手は、世界中から尊敬の眼差しを向けられる存在だ。しかし、サッカー選手も聖人君子ばかりではない。様々なトラブルを起こすフットボーラーを、ファンは親しみを込めてこう呼ぶ。「悪童」。世間を騒がせてきた悪童たちを紹介する今コラム、第1回はピッチで暴れまくったこの3人だ。
カルロス・テベスを激昂させるジョーイ・バートン(右) 暴力的なフットボーラーの代表格といえば、ジョーイ・バートンをおいてほかにいないだろう。
リバプール郊外に生まれ、2002年にマンチェスター・シティでプロデビューしたMFは、およそ15年にわたるキャリアで数々の暴力沙汰を起こしてきた。イングランド・フットボール協会(FA)から3度の制裁を受け、傷害事件で2度も起訴。実際に檻の中に拘留されたこともある。
2004年2月のFAカップで初めてレッドカードを受けると、そこから徐々にバートンの本性が現れていった。試合のメンバーから外されたことに腹を立てて練習場を去ったり、クリスマスパーティーで同僚と揉めて火のついた葉巻を目に押しつけたりと、その年だけでも何度も蛮行を犯している。
以降、愛車のアストンマーティンで事故を起こして歩行者にケガを負わせたり、アジアツアー中に他クラブの10代のファンと揉めて首を締めたり、エバートンのサポーターに向けて尻を見せたり......。バートンは派手に愚行を重ねていく。
そして2007年5月、マンチェスター・Cでのトレーニング中にチームメイトのウスマーヌ・ダボと口論になり、頭に血が上ったバートンは相手の顔が血まみれになるほど殴打。さらに同年12月には、泥酔したあとに深夜のマクドナルドで若者とケンカをし、10代の少年を殴って相手の歯を折ってしまった。
このふたつの事件には警察が関与し、ダボの訴えによって翌2008年に実刑判決。バートンは77日間の刑期を務め、年末のいさかいについては懲役4カ月・執行猶予2年の判決が下された。
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