小野伸二の雄姿に震えた。日本サッカー史に残るシーズンの大団円
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デ・カイプ(ロッテルダム)
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シーズン後に日韓共催W杯が控えていたので、2001-02シーズンのことはよく覚えている。
チャンピオンズリーグ(CL)で言うならば、グラスゴーのハムデンパークで行なわれた決勝戦で、レアル・マドリードがレバークーゼンを2-1で下した一戦だ。ジネディーヌ・ジダンの左足スーパーボレーシュートが決勝ゴールとなった試合、と言えば思い出しやすいだろうか。
UEFAカップ(現在のヨーロッパリーグ)で言うならば、フェイエノールトがドルトムントに3-2のスコアで競り勝った一戦だ。会場はロッテルダムのデ・カイプ。フェイエノールトの優勝には、本拠地が事前に決勝戦の舞台に選ばれていたという幸運な設定も後押ししていた。
デ・カイプで行なわれたこの決勝戦。世界各国から取材に訪れた記者は約140人で、日本人がその中で40人ほどを占めていた。このUEFAカップ決勝の前後に、日本代表がレアル・マドリード及びノルウェー代表と、それぞれ敵地で親善試合を行なう日程だったため、欧州にはその時、日本から多くの報道陣が駆けつけていた。ロッテルダムは、マドリードとオスロを結ぶ中間点。訪れやすい場所にあったことも確かだ。
2002年、フェイエノールトの本拠地、デ・カイプのピッチに立つ小野伸二 しかし、大挙して押しかけた一番の理由は、その時22歳だったフェイエノールトの小野伸二が、このUEFAカップ決勝に、日本人選手として初めて出場する可能性が高かったからだ。日本人初の欧州カップ戦ファイナリスト誕生なるか。その優勝メンバーに名を連ねることができるか――に注目が集まっていた。
2002年5月8日。試合前、正面スタンド前に整列する両軍選手の中に、小柄な小野の姿を確認すると、こちらまで誇らしい気持ちになった。
しかし、このデ・カイプで、フェイエノールトの小野から、同種の感激を味わったのは、この日が最初だったわけではない。
このシーズンは当初、チャンピオンズカップ時代の奥寺康彦さんを除けば初となる日本人のチャンピオンズリーガー誕生なるかに関心が集まっていた。その可能性があったのは、中田英寿(当時パルマ)と小野、それに稲本潤一(当時アーセナル)だった。
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