名将テレ・サンターナは美しさを尊ぶ。選手と観衆のためのサッカー
サッカー名将列伝
第8回 テレ・サンターナ
革新的な戦術や魅力的なサッカー、無類の勝負強さで、見る者を熱くさせてきた、サッカー界の名将の仕事を紹介する。今回登場するのは、80年代のブラジル代表を率い、90年代にはサンパウロを指揮して、当時全盛だったバルセロナやミランを破ったテレ・サンターナ。世界中のサッカーファンが憧れた、美しいブラジルサッカーはどのようにしてつくられたのだろうか。
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<チーム・サンターナの指導体制>
高名なテレ・サンターナを初めて見たのは、彼がサンパウロを率いてトヨタカップ(インターコンチネンタルカップ)のために来日した時(1992年)だった。
1986年メキシコW杯でブラジル代表を率いるテレ・サンターナ監督 相手は"ドリームチーム"のバルセロナ。後日談だが、テレ・サンターナとヨハン・クライフの両監督は、試合前にホテルで4時間も語らっていたという。当時は呉越同舟で、対戦チームは同じホテルに宿泊していたのだ。
「時間稼ぎやシミュレーションなどはなしにしよう。そんな選手がいたら交代させよう」
そんな話をしていたそうだ。試合後、敗れたクライフの言葉が印象に残っている。
「どうせ轢かれるならフェラーリのほうがいい」
互いにサッカー人として敬意を持っていたふたりは、考え方もよく似ていたように思う。技術を重視した攻撃的なプレーを志向し、美しいサッカーを実現した。そして、よいプレーをして敗れたのなら何ら恥じる必要はないという、堂々とした態度も共通している。
ある意味、ふたりとも古いタイプの監督なのかもしれない。ただ現在よくいる、あまりにも勝利至上主義でリスペクトの欠片もなく、成功がすべてでガツガツしたビジネスマンのような監督たちに比べると、スポーツマンとして"ちゃんとしていた"。
練習風景は対照的だった。クライフはコーチ陣と共に、真っ先にフィールドに出てきてボールを蹴っていた。監督とコーチが、選手より先にウォーミングアップしていた。クライフとカルレス・レシャック(第二監督)は、実際にトレーニングに参加している。当時のバルセロナのトレーニングとして有名だった、長方形に区切った狭いエリアでのパスワークでは、外枠にクライフとレシャックがいた。
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