「ドーハの悲劇」前夜。カズは
スタジアム客席から采配に注文をつけた

  • 杉山茂樹●文 text by Sugiyama Ssigeki
  • photo by Mutsu Kawamori/MUTSUFOTOGRAFIA

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ベニート・ビジャマリン(セビージャ)

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 レアル・ベティスのホーム、ベニート・ビジャマリンと言われて思い出すのはオフトジャパンだ。

 1993年9月15日。日本発ロンドン・ヒースロー空港経由でセビージャ空港に到着したのは試合の1時間前。タクシーで直行し、大慌てでスタンドのゲートをくぐれば、両軍の選手がすでに正面スタンド前に横隊していた。

 日本代表対ベティス。

乾貴士も在籍していたベティスの本拠地ベニート・ビジャマリン乾貴士も在籍していたベティスの本拠地ベニート・ビジャマリン カタールのドーハで開催される1994年アメリカW杯アジア地区最終予選まで、1カ月という時期だった。監督のハンス・オフトが最終合宿の地に選んだのは、スペインのコスタ・デル・ソルにあるノボ・サンクティペトリというリゾート地。選手たちは、セベ・バレステロス氏が設計したゴルフ場内の、18番フェアウェー脇に並ぶバンガローコテージを宿にしていた。

 報道関係者は、ゴルフ場に併設されたホテルに滞在したのだが、現地に着くなり、筆者は仰天した。そのちょうど1年前、開場直前だったこのゴルフ場を、取材のために訪れていたからだ。こんな偶然はそうあるものではない。

 ベティス戦は合宿中に3試合行なわれた練習試合の初戦だった(2戦目はグラナダ、3戦目はカディス)。注目されたのは左サイドバック。それまでスタメンだった都並敏史(現在は解説者)が、Jリーグの戦いで負傷したため、その代役探しが課題となっていた。

 ベティス戦に左SBとしてスタメンを飾ったのは江尻篤彦(現東京ヴェルディ強化部長)。所属チームのジェフ市原(現ジェフ千葉)では、ウイングあるいはサイドハーフとして出場していた選手を、オフトは1列下げてテストした。

 日本は開始早々、長谷川健太(現FC東京監督)、井原正巳(現柏レイソルコーチ)と繋ぎ、高木琢也(現大宮アルディージャ監督)が先制点を挙げた。だがその直後、注目の江尻がPKを献上。同点とされてしまう。テストは、前半の45分をもって終了した。オフトは江尻をベンチに下げ、センターバック的な選手である勝矢寿延(現セレッソ大阪スクールコーチ)をピッチに送り込んだ。トライを辞め、安全策に転じたという印象だった。

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